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古事記 【日本書紀】神日本磐余彥天皇、諱彥火火出見、彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰玉依姬、海童之少女也。天皇生而明達、意礭如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、爲妃、生手硏耳命。 カミヤマトイハアレビコノスメラミコトは、実名をヒコホホデミという。ウガヤフキアエズノミコトの第四子である。母はタマヨリヒメといい、海神トヨタマヒコの二番目の娘である。天皇は生まれながらにして賢く、気性もしっかりしておられた。十五歳で皇太子となられた。成長されて、日向国吾田邑のアヒラツヒメを娶って妃とし、タギシミミノミコトが生まれた。 神武天皇御降誕伝説地【詳細は前項】 (鵜戸神宮)(狭野神社)(皇子原神社)(肝付町宮下)(肝付町野崎) 神武天皇の幼少時の少宮趾 駒宮神社 東征前までの皇居 都嶋御旧跡 イツセノミコト御功績 神太郎水神 神武天皇出発の地(どこへ?) (神武天皇発輦跡) 神武天皇巡行地(どこから?) (神武天皇御巡幸の地碑) 高千穂宮比定地【詳細は「天孫降臨」】 (壹宮神社)(高千穂神社)(石體神社) 神倭伊波禮毘古命自伊下五字以音與其伊呂兄五瀬命伊呂二字以音二柱、坐高千穗宮而議云 カムヤマトイハレヒコノミコトが、兄のイツセノミコトと二人で、高千穗の宮で相談し、 「坐何地者、平聞看天下之政。猶思東行。」 「どこにいれば天下を泰平にできるだろうか。やはりもっと東に行くべきではないか。」と決められて、 【日本書紀】及年卌五歲、謂諸兄及子等曰「昔我天神、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彥火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。 四十五歳になられたとき、兄弟や子どもたちに語られた。「昔、タカミムスヒノミコトとアマテラスオオミカミが、この豊葦原瑞穂国を、祖先のニニギノミコトに授けられた。そこでニニギノミコトは天の戸を押し開き、路をおし分け先払いを走らせてお出でになった。このとき世は太古の時代で、まだ明るさも充分ではなかった。その暗い中にありながら正しい道を開き、この西のほとりを治められた。代々父祖の神々は善政をしき、恩沢がゆき渡った。天孫が降臨されてから、1,792,470余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村々はそれぞれの長があって、境を設け相争っている。さてまたシオツチノオジに聞くと、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟に乗って、とび降ってきた者がある』と言うのです。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、ニギハヤヒというものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」諸皇子たちも、「その通りです。私たちもそう思うところです。速かに実行しましょう」と申された。この年は太歳の甲寅である。 御駐蹕・駐輦伝説地 宮浦宮 神武天皇神子落伝説地 (霧島市国分川内) 狭野から宮崎へ遷御された際の休憩所 金崎神社 神武天皇宮崎の宮の跡 皇宮神社 卽自日向發、幸行筑紫。 日向国を出発し、筑紫国に行かれました。 原文は「日向国」ではなく「日向」なので、「筑紫の日向」とも解される。 【日本書紀】其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國神、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天神子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥椎、此云辭毗、此卽倭直部始祖也。 その年の十月五日に、天皇は自ら諸皇子と舟軍を率いて、東征に向われた。速吸之門にお出でになると、一人の漁人が小舟に乗ってやってきた。天皇は呼びよせてお尋ねになり、「お前は誰か」と言われた。漁人は、「私は国津神のウズヒコと申します。曲の浦に釣りにきており、天津神の御子がおいでになると聞いて、特にお迎えに参りました。」と答えた。天皇はまた尋ねる。「お前は私のために道案内をしてくれるか」すると海人は、「御案内しましょう」と言った。天皇は命じて、漁人に椎竿の先を差し出し、つかまらせて舟の中に引き入れ、水先案内とされた。そこで特に名を賜ってシイネツヒコとされた。これが倭直の先祖である。 妃の吾平津媛はこの地に残り、武運長久を祈った。 大川内神社吾平津神社 この地の竹で矢を作った (霧島市国分台明寺) 航海安全を祈願した 戸柱神社 神武東征の折、ここで湯浴みをした 湯之宮神社 この地で矢を研いだ 矢研の滝 御駐蹕・駐輦伝説地 甘漬神社 武運長久を祈願した 都農神社 航海安全を祈願した 立磐神社 凧を揚げて風向を確認した 湊柱神社 神武東征に出発時、村人が見送りした。 (高原町蒲牟田) 以前鯨を突いた鉾をこの島に建てられた。 鉾島神社 暴風雨に遭って寄港し、航海安全を祈願した。 伊勢本社 弓矢で海岸を掘るとたちまち清水が湧いた。 神の井 大蛸の神剣を、海女姉妹が海底で入手し、神武天皇に献上した。 早吸日女神社 故、到豐國宇沙之時、其土人、名宇沙都比古・宇沙都比賣此十字以音二人、作足一騰宮而、獻大御饗。 豊後の宇佐に到着した時に、その国のウサツヒコとウサツヒメの二人が足一騰の宮を作ってお迎えし、御馳走でもてなしました。 和尚山宇佐神宮妻垣神社柁鼻神社 【日本書紀】行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。 筑紫国の宇佐に着いた。すると宇佐国造の先祖でウサツヒコとウサツヒメという者があった。宇佐の川のほとりに、一柱謄宮を造っておもてなしをした。このときにウサツヒメは侍臣のアマノタネノミコトと結婚された。アマノタネノミコトは中臣氏の先祖である。 天照大神を祭祀した? (簑島神社) 自其地遷移而、於竺紫之岡田宮一年坐。 そこから今度は、筑紫の岡田の宮に一年滞在し、 岡田宮神武神社一宮神社 【日本書紀】十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。 十一月九日、天皇は筑紫国の岡水門に着かれた。 (神武天皇社) 周防国に半年滞在。 神上神社 山頂に立ち寄られた。。 箕山 亦從其國上幸而、於阿岐國之多祁理宮七年坐。自多下三字以音。 次に安芸国の多祁理の宮に七年滞在しました。 多家神社(神武天皇御腰石) 【日本書紀】十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。 十二月二十七日、安芸国について埃宮にお出でになった。 亦從其國遷上幸而、於吉備之高嶋宮八年坐。 その後は、備後国の高島の宮に八年滞在します。 ★高島宮★ 【日本書紀】乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。 翌年、乙卯の三月六日に、吉備国に移られ、仮宮を造ってお入りになった。これを高島宮という。三年の間に船舶を揃え兵器や糧食を蓄えて、一挙に天下を平定しようと思われた。 逆賊征伐時、武甕槌らの御旗を見て、この神らをお祀りした。 懸幡神社 登臨された。 乙子神社 斎服を調進するため、ここに麻を植え紡績なさった。 麻御山神社 兵食を備蓄し舟櫂を修補した。 松江伊津岐神社 御船を停め山の南端鳥越から、景色を眺望された。 幸地山神社 御駐蹕・駐輦伝説地 伊登美宮 御船の纜を掛けられた。 綱掛石神社 妃の興世姫命が駐留した後、崩御された。 神島神社 兄の五瀬命が数年間滞在した。 安仁神社 故從其國上幸之時、乘龜甲爲釣乍、打羽擧來人、遇于速吸門。 次に移動している途中、速吸の海峡で、亀の背に乗って釣りをしながら勢いよく身体を振りながら来る人に遭遇しました。 亀石神社 爾喚歸、問之「汝者誰也。」答曰「僕者國神。」 呼び寄せて「お前は何者だ。」と尋ねられると、「私はこの土地の国津神です。」と答えられました。 又問「汝者知海道乎。」答曰「能知。」 また「お前は海路を知っているか。」と尋ねると「熟知しています。」とのことでした。 又問「從而仕奉乎。」答曰「仕奉。」 また「案内をしてくれるか。」と問いましたところ、「いいでしょう。」と申しました。 故爾指渡槁機、引入其御船、卽賜名號槁根津日子。此者倭國造等之祖。 そこで棹を差し渡して御船に引き入れ、サヲネツヒコと名乗らせます。この人は倭国造らの先祖です。 保久良神社椎根津彦神社 「白髪長髪の翁が、亀の背に乗り、沖で釣をしていると、吉備水道を抜け出て来た船団が播磨灘に向かってやってきて、翁がこの海に関して詳しい事を知り、翁に道先案内を頼みました。船団は、家島に滞在し、船の修理や、兵士の訓練、食料の補充をして数年間がたちました。そして、翁の案内で、摂津へ旅立ちました。難波について翁は手柄を褒められました。翁の亀は、忙しい主人をおいて、先に難波ヶ崎から家島に帰ってきました。」「播磨鑑」伝 家島神社 【日本書紀】戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。因以名爲浪速國、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。 戊午の年、二月十一日に、天皇の軍はついに東に向った。舳艫あいつぎ、まさに難波琦に着こうとするとき、速い潮流があって大変速く着いた。よって名づけて浪速国とした。また浪花ともいう。現在、難波と呼ばれるのは訛ったものである。 (大阪天満宮) 故、從其國上行之時、經浪速之渡而、泊青雲之白肩津。 また途中で、難波湾を過ぎて河内の白肩の津に船を停泊させました。 【日本書紀】三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河內國草香邑靑雲白肩之津。 三月十日、川を遡って、河内国草香村の青雲の白肩津に着いた。 此時、登美能那賀須泥毘古自登下九字以音興軍待向以戰、爾取所入御船之楯而下立、 この時待ち構えていた、登美を根城とするナガスネヒコの軍が襲って来ましたので、船にあった楯を取り出して下船して戦いました。 長髄彦本拠の碑 故號其地謂楯津、於今者云日下之蓼津也。 この土地を楯津と言い、今でも日下の蓼津と言っています。 (東大阪市日下町) 【日本書紀】夏四月丙申朔甲辰、皇師勒兵、步趣龍田。而其路狹嶮、人不得並行、乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時、長髄彥聞之曰「夫天神子等所以來者、必將奪我國。」則盡起屬兵、徼之於孔舍衞坂、與之會戰。有流矢、中五瀬命肱脛。皇師不能進戰、 四月九日に、皇軍は兵を整え、歩いて竜田に向った。その道は険しく、2列で行くことができないほど狭かった。そこで引き返し、さらに東の方、生駒山を越えようとした。ナガスネヒコがそれを聞き、「天神の子がやってくるのは、我が国を奪うためだ。」と言って、全軍を率いて孔舍衛坂で戦った。流れ矢がイツセノミコトの肘脛に当った。皇軍は先に進めなかった。 孔舎衛坂顕彰碑(暗峠) 於是、與登美毘古戰之時、五瀬命、於御手負登美毘古之痛矢串。 ナガスネヒコとの戦闘で、イツセノミコトが手にナガスネヒコの矢をくらいました。 故爾詔「吾者爲日神之御子、向日而戰不良。故、負賤奴之痛手。自今者行廻而、背負日以擊。」 「自分は日神の御子なのだから、我々は日に向かって戦ってはならぬ。このため、奴の矢を食らったのだ。日を背中にするように回り込もう。」と仰せられて、 【日本書紀】天皇憂之、乃運神策於沖衿曰「今我是日神子孫而向日征虜、此逆天道也。不若、退還示弱、禮祭神祇、背負日神之威、隨影壓躡。如此、則曾不血刃、虜必自敗矣。」僉曰「然。」於是、令軍中曰「且停、勿須復進。」乃引軍還。虜亦不敢逼、 天皇はこれを憂れいて作戦を練った。「今回、私は日神の子孫であるのに、日に向って敵を討とうとしているのは、天道に逆らっている。そこで、一度撤退して相手を油断させ、天神地祇をお祀りし、背中に太陽を負って、日神の威光をかりて襲いかかるのがよいだろう。このようにすれば、刃に血を付けずとも、敵はきっと敗れるだろう」と言われた。皆は、「その通りです」と言った。そこで軍中に告げた。「いったん止まれ。ここから進むな」そして軍兵を率いて帰られた。敵もあえてこれを後を追わなかった。 午後に戦闘をすれば、日を背にできたのに・・・ 【日本書紀】却至草香之津、植盾而爲雄誥焉。雄誥、此云烏多鶏縻。因改號其津曰盾津、今云蓼津訛也。 草香津に引き返すと、盾を立てて雄叫びをし、士気を鼓舞された。このことから、その津を盾津と呼ぶようになった。いま寥津と呼ばれているのは、この訛りである。 【日本書紀】初、孔舍衞之戰、有人隱於大樹而得兔難、仍指其樹曰「恩如母。」時人、因號其地曰母木邑、今云飫悶廼奇訛也。 孔舎衛の戦いでは、ある者が大きな樹に隠れていて難を免れることができた。それで、その木を指して、「この恩は母のようだ。」と言った。当時の人はこれを聞き、そこを母木邑といった。現在、「おものき」というのは、これが訛ったものである。 期而、自南方廻幸之時、到血沼海、洗其御手之血、故謂血沼海也。 南の方に回り込む途中で、血沼の海で手の血をお洗いになりました。そこで血沼海と呼ぶようになります。 茅渟神社 從其地廻幸、到紀國男之水門而詔「負賤奴之手乎死。」男建而崩、故號其水門謂男水門也、 さらに回り込み、紀伊国の男の水門まで来ましたが「賤しい奴に負けて死ぬのは無念。」と叫ばれてお隠れになりました。それでここを男水門と言います。 水門吹上神社 【日本書紀】五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢「慨哉、大丈夫慨哉、此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。 五月八日、軍は茅淳の山城水門に着いた。その頃、イツセノミコトの矢傷がひどく痛み、剣を撫でて雄叫びして、「残念だ。丈夫が賊に傷つけられたのに、それに報いないで死ぬことは」と言われた。人々は、その地を雄水門と名付けた。 男神社摂社浜宮 陵卽在紀國之竈山也。 御陵は紀伊国の竈山にあります。 竈山神社 【日本書紀】進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。 紀伊国の竈山に到達したころ、イツセノミコトはお亡くなりになったので、竈山に葬られた。 神武天皇即位前3年、神武東征に際して天種子命が勅命によって天児屋根命・比売神の2神を東方山上の神津嶽(かみつだけ)に奉斎した 枚岡神社 【日本書紀】六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬鼙。 六月二十三日、軍は名草邑に着いた。そこでナグサトベという女賊を誅された。 (名草邑顕彰碑)宇賀部神社杉尾神社千草神社 故、神倭伊波禮毘古命、從其地廻幸、到熊野村之時、大熊髮出入卽失。 カムヤマトイハレヒコノミコトは、そこから回り込んで熊野にたどり着いた時、大きな熊が現れて、消えてしまいました。 紀ノ川を遡上するのは駄目だったのだろうか・・・ 【日本書紀】遂越狹野而到熊野神邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。 ついに狭野を越えて、熊野の神邑に至り、天磐盾に登った。そうして軍を率いてさらに進んでいった。 狭野顕彰碑阿須賀神社神倉神社 頓宮跡。 渡御前社 爾神倭伊波禮毘古命、倐忽爲遠延、及御軍皆遠延而伏。 カムヤマトイハレヒコノミコトも、その兵士たちも皆気を失って倒れてしまいました。 (熊野荒坂津神社) 此時、熊野之高倉下此者人名賷一横刀、到於天神御子之伏地而獻之時、天神御子卽寤起、詔「長寢乎。」 この時、熊野のタカクラジが一本の大刀を持って現れ、天神の御子が寝ているところに来ると、「隨分寝てしまっていた。」と言いながら起きられました。 故、受取其横刀之時、其熊野山之荒神、自皆爲切仆、爾其惑伏御軍、悉寤起之。 その大刀を受け取ると、熊野の山の悪い神たちが自然に皆切り倒され、兵士たちも起きることができました。 故、天神御子、問獲其横刀之所由、高倉下答曰 そこで天神の御子がその大刀を手に入れたいきさつを尋ねると、タカクラジは、 「己夢云、天照大神・高木神二柱神之命以、召建御雷神而詔『葦原中國者、伊多玖佐夜藝帝阿理那理此十一字以音、我御子等、不平坐良志此二字以音。 「夢の中で、アマテラスオオミカミとタカギノカミのお二方がタケミカヅチノカミを呼んで、『葦原中国は戦乱の最中である。私の御子たちは困っているようだ。 其葦原中國者、專汝所言向之國、故汝建御雷神可降。』 あの葦原中国はあなたが平定した国なのだからタケミカヅチノカミよ、行ってきなさい。』と仰せになっていました。 爾答曰『僕雖不降、專有平其國之横刀、可降是刀。 しかし、タケミカヅチノカミは、『私が行くまでもなく、国を平定した時の大刀を降しましよう。 此刀名、云佐士布都神、亦名云甕布都神、亦名云布都御魂。此刀者、坐石上神宮也。 この大刀の名はサジフツノカミ、またの名はミカフツノカミ、またの名はフツノミタマと言い、現在は石上神宮にあります。 (石上神宮) 降此刀狀者、穿高倉下之倉頂、自其墮入。 この大刀を降すには、タカクラジの倉の屋根に穴をあけてそこから落としましょう。 故、阿佐米余玖自阿下五字以音汝取持、獻天神御子。』 タカクラジよ、目が覚めたら、この大刀を天神の御子に渡しなさい。』と答えておられました。 故、如夢教而、旦見己倉者、信有横刀。故、以是横刀而獻耳。」 そこで夢で言われた通り、倉を見に行くと本当にに大刀がありましたので、この大刀を持ってきた次第です。」と答えられました。 【日本書紀】海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天神、母則海神。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持神。三毛入野命、亦恨之曰「我母及姨並是海神。何爲起波瀾、以灌溺乎。」則蹈浪秀而往乎常世鄕矣。 海を渡ろうとするとき、急に暴風に遇った。船は波に奔弄されて進まない。イナヒノミコトが嘆いて言われたのは、「ああ、我が先祖は天津神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか。」そう言い終って剣を抜き、海に入り、サビモチノカミとなられた。ミケイリノミコトもまた恨んで言われた。「我が母と姨は二人とも海神である。それなのに、どうして波を立てて我らを溺れさすのか。」波頭を踏んで常世国にお出でになった。 室古神社阿古師神社 ミケイリノミコトは高千穂に帰り、鬼八を退治した。 (高千穂神社) ゆかりの寺社(御朱印視点) 引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。 【おススメ度 ☆☆☆☆☆】御朱印帳があります。(売切御免) 都道府県 寺社名 所在地 備考 福岡県 岡田宮 北九州市八幡西区岡田町1-1 岡田宮 【おススメ度 ☆☆☆☆★】ゆかりの御朱印が頂けます。 都道府県 寺社名 所在地 備考 大分県 妻垣神社 宇佐市安心院町妻垣203 『足一騰宮』墨書 【おススメ度 ☆☆☆★★】期間限定で所縁の御朱印が頂けます。 都道府県 寺社名 所在地 備考 【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。 都道府県 寺社名 所在地 備考 大分県 宇佐神宮 大分県宇佐市南宇佐2859 足一騰宮 【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。 都道府県 寺社名 所在地 備考 大分県 柁鼻神社 宇佐市 足一騰宮 広島県 多家神社 安芸郡府中町宮の町3-1-13 多祁理宮 広島県 斎島神社 尾道市因島大浜町四区1755 高島宮 広島県 八幡神社 福山市田尻町2423 高島宮 広島県 皇森神社 福山市内海町2797 高島宮 広島県 王太子神社 広島県尾道市浦崎町 高島宮 岡山県 高島神社 笠岡市高島4690 高島宮 岡山県 高島神社 岡山市中区賞田295 高島宮 岡山県 高島神社 岡山市南区宮浦3268 高島宮 岡山県 産土荒神社 倉敷市児島塩生 高島宮 岡山県 神島神社 笠岡市神島外浦1706 高島宮・興世姫命 岡山県 懸幡神社 岡山市北区東山内1303 岡山県 幸地山神社 岡山市東区邑久郷1328 岡山県 麻御山神社 岡山市東区邑久郷2948 岡山県 綱掛石神社 岡山市東区東片岡1695 岡山県 伊登美宮 岡山市東区東片岡1190 岡山県 松江伊津岐神社 岡山市東区邑久郷1500 岡山県 乙子神社 岡山市東区乙子237 岡山県 安仁神社 岡山市東区西大寺一宮895 五瀬命 岡山県 亀石神社 岡山市東区水門町 サヲネツヒコ 兵庫県 保久良神社 神戸市東灘区本山町北畑680 サヲネツヒコ 大分県 椎根津彦神社 大分市佐賀関1812 サヲネツヒコ 兵庫県 家島神社 姫路市家島町宮1 宮崎県 立磐神社 日向市美々津町3419 鹿児島県 戸柱神社 肝属郡東串良町川東4027 鹿児島県 宮浦宮 霧島市福山町福山2437 宮崎県 鉾島神社 日向市細島353 宮崎県 都農神社 宮崎県児湯郡都農町川北13294 宮崎県 湊柱神社 日向市大字幸脇5 宮崎県 甘漬神社 児湯郡川南町大字川南11393 宮崎県 駒宮神社 日南市平山1095 大阪府 茅渟神社 泉南市樽井5-11-9 血沼海 和歌山県 水門吹上神社 和歌山市小野町2-1 男水門 大阪府 男神社摂社浜宮 泉南市男里7-35-1 男水門 和歌山県 竈山神社 和歌山市和田438 五瀬命墓所 奈良県 石上神宮 天理市布留町384 フツノミタマ 鹿児島県 大川内神社 鹿屋市吾平町麓椎実田5645-1 吾平津媛 宮崎県 吾平津神社 日南市材木町9 吾平津媛 宮崎県 皇宮神社 宮崎市神宮2-4-1 宮崎県 金崎神社 宮崎市大字金崎2995 大分県 伊勢本社 佐伯市蒲江大字畑野浦371 大分県 椎根津彦神社 大分市佐賀関1812 福岡県 簑島神社 行橋市蓑島 福岡県 神武神社 福津市津丸 岡田宮 福岡県 一宮神社 北九州市八幡西区12 岡田宮 宮崎県 湯之宮神社 児湯郡新富町大字新田18633-2 大分県 早吸日女神社 大分市佐賀関3336-2 山口県 神上神社 周南市下上西武井1054 和歌山県 神倉神社 新宮市神倉1-13-8 フツノミコト 大阪府 大阪天満宮 大阪市北区天神橋2-1-8 和歌山県 宇賀部神社 海南市小野田917 ナグサトベ 和歌山県 杉尾神社 海南市阪井1858 ナグサトベ 和歌山県 千草神社 海南市重根1125 ナグサトベ 和歌山県 渡御前社 新宮市新宮 和歌山県 熊野荒坂津神社 新宮市三輪崎2300 | 大阪府 枚岡神社 東大阪市出雲井町7-16 【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。 都道府県 寺社名 所在地 備考 宮崎県 都嶋御旧跡 都城市都島町837-3 大分県 和尚山 宇佐市上拝田 足一騰宮 奈良県 長髄彦本拠の碑 生駒市上町2745-1 ナガスネヒコ 大阪府 神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑 東大阪市善根寺町1丁目 ナガスネヒコ 鹿児島県 神武天皇神子落伝説地 霧島市国分川内 神子落 鹿児島県 神武天皇の腰掛岩伝説地 霧島市国分台明寺 腰掛岩 宮崎県 矢研の滝 都農町尾鈴 大分県 神の井 佐伯市日向泊浦517 広島県 神武天皇御腰岩 安芸郡府中町宮の町5-4 熊本県 神武天皇発輦跡 上益城郡山都町大野 宮崎県 神武天皇御巡幸の地碑 東臼杵郡諸塚村七ツ山 山口県 箕山 熊毛郡平生町大野南 和歌山県 神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑 和歌山市広原 ナグサトベ 和歌山県 神武天皇聖蹟狭野顕彰碑 新宮市佐野3-11 和歌山県 神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑 新宮市阿須賀1丁目2 和歌山県 阿須賀神社 新宮市阿須賀1-2-25 駒宮神社 当社は初代天皇 神武天皇の幼少時の少宮趾として伝えられ、「駒宮大明神縁起」によると、弘治2年(1556年)6月には駒宮領二町、足洗田一町を御供田として有していた。往古は相当な大社であり、神宮寺という寺跡があり、神社の別当寺だったかもしれないが、安政元年の広渡川の氾濫で水没、また入田原に大馬場があって流鏑馬神事で賑わったという。 駒宮神社 宮浦宮 醍醐天皇の御代、延長五年撰集の延喜式神名帳に所載の由緒ある古社である。桃園天皇の御代、宝暦二年十二月十八日従二位神祇権大副卜部兼雄卿の昇階の事が天聴に達し、正一位の神階を授けられ、さらに勅許により御幣十三体を内陣に納め、「正一位宮浦大明神」の勅額を正面鳥居に掲げるところから、宮浦大明神と称される。宗源勅旨の内容は、当社の御祭神の嫌いな事として、氏子が麻苧を作ること、正月二十五日(神武天皇の旅立たれた日であり、明治以前はこの日が例祭日であった)以前に機杼織ること、同日以前に灸をすることの三つがあって厳しいので、神位の昇叙により神慮の寛恕を得る事が記されている。他に神武天皇に因み、「御駐蹕伝説地宮浦」と記した石碑や「腰掛石」と呼ばれる座椅子型の石があり、北方三キロ程の海岸に突出した若皇子鼻という地名は、かつてこの地を巡幸した神武天皇の若い時の御名・若御毛沼によるとの古伝がある。社殿は寛政三年の大火で類焼し、当時の二十六代藩主斉宣公が再興したものといわれる。 鹿児島県神社庁 都嶋御旧跡 都嶋御旧跡(神武天皇の聖蹟)碑神武天皇は、狭野皇子原(高原町)に誕生し、東征前までの皇居は都嶋にあったとされている。神武天皇の東征後、聖蹟を汚すことを畏れた人々は、小高い塚を築いて「宮古神」として神社を建立したという。永和元年(一三七五)、北条氏二代義久はこの地(都嶋)に城を築き、「都城」と名付けた。そして、神社が城内にあっては参詣に不便だとして、城外に社殿を遷座し、『須久束大明神』と称した。その後も、塚上の「宮古神」の社殿は残されていたが、間もなく兵火により焼失したため、跡地に樹木を植えてこれを記念したという(『稿本都城市上巻』)。「都嶋御舊蹟」の碑は、神武皇居の遺跡を保存して後世に伝えようと、五十市村と都城町の有志らの寄付により、明治三六年(一九〇三)八月一二日に建立された。当時の新聞『宮崎新聞』によると、石材は志布志の夏井から運ばれたとある。平成二十六年一〇月都城市教育委員会 現地案内看板 皇宮神社 御鎮座は、宮崎市下北方町皇宮地で神武天皇宮崎の宮の跡(江戸時代の碑)と伝えられる聖地である。 皇宮神社境内由緒書 金崎神社 金崎は大淀川の支流綾川に臨み、金崎神社の背後の小丘陵である。神武天皇狭野より宮崎の宮に御遷御の時、この丘上にお休みになられ、橘の小戸の阿波岐原お望みになられた地として、紀元二千六百年記念祭時に顕彰されている。金﨑神社は桓武天皇の御代、金崎郷の総廟として鎮座されたものと伝える。昔時は金之御子、または金御児を冠して、六社大権現と称されていた。建久元年(1190)伊東祐経公日向の守護となり、社領高七石を奉納した。天正十五年(1587)秋月築前守の領地となっても、社領七石は旧に依って奉納され、更に元禄二年(1689)秋月式部種封公の領地になっても、社領は前例に依って奉納された。当社はもと社殿背後の霧島山の山頂に鎮座し、元禄年間山麓に遷座したが、度々不思議な事があって、宝永年間現在地に再遷したと伝える。 宮崎県神道青年会 神太郎水神 神太郎水神の伝説当所の神太郎水神社は、高千穂郷 五水神社の一座である。太古往来にまだ道路がなく、嶺を伝うか、川の縁を利用して通行していた時代、天孫降臨の地高千穂郷を守護するため神武天皇の兄、五瀬命は、この地方を貫流する、五ヶ瀬川流域の要害の地、五ヶ所に部下の臣を遣わして守備させられたが、その地は、東は当所見立に「川の詰神太郎」西は三ヶ所廻淵に「雑賀小路安長」南は七折に「網瀬弥十郎」北には田原の「漣 三郎」中央には三田井の「御橋久太郎」であり、神太郎様はその長兄であるといわれている。はじめ国津神何々の命かが任命されていたとも思われるが詳でない。川の詰は見立川に沿い上流下流の何れから来ても、両岸絶壁で歩行の止まる所、誠に要害堅固の地であって、川の詰の地名もこの地形に由来しているという。この地を豊後路の押さえとして侵入者を防ぐ為、任せられた神太郎様はじめ太古国防の第一線に任ぜられていた命たちを祀った社でその建立の時代は不明であるが、由緒は古く同時に各水系に配された水神様の内でも、霊験あらたかなことでもしられる。また水神社は武勇の神としても崇敬篤く、此処の氏子は日清日露から大東亜の各戦役に出征し、一人の戦没者も出さなかったのも神太郎水神様の御守護のおかげと言われている。安全祈願から縁結び、雨乞い、山火事の鎮火祈願、に至るまで、実に万能の水神様で更にまた此処の水神淵の水をつかい手習いすると上達すると言われ、昔から遠近からの参拝者が多い事で有名であります。建立平成三年二月吉日 現地案内看板 戸柱神社 不詳。一説によれば、神武天皇後東遷の際、準備発航の地である新川西字田畑の降神山(皇神山)に航海安全を祈って創建され、後約千年前に当地へ遷座されたと言う。 鹿児島県神社庁 立磐神社 立磐神社は、その昔、神武天皇御東遷の際、美々津港より御船出するにあたり、航海の安全を御祈念され、海上の守護神であられる底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を奉斎したことに因んで、第十二代景行天皇の御代に創祀されました。天正六年、大友氏と島津氏の耳川の合戦の戦火により、社殿及び宝物、貴重なる文献等は消失しましたが、元和九年に再興されました。境内には、神武天皇が座られたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩其のものを神武天皇の御神体として崇拝しております。昭和九年には、神武天皇が当美々津港を御船出され二千六百年に相当することを祝う記念事業として、境内の拡張、社殿の修築が行われました。 立磐神社 都農神社 創建されたのは御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられる。旧記によれば、日向国の第一の大社であったが、天正年間の島津・大友の争乱の際、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失したものの、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた。争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみであった。元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった。その後、社殿の老朽化に伴い平成14年に「御造営奉賛会」が設立され、平成19年7月7日に現在の社殿が竣成されたのである。 都農神社 湊柱神社 幸脇はお船出の際、凧を揚げて風向を試みた所であり、口碑には御進発に際し軍船の修祓を斎行した所として顕彰されている。また御滞在の間タブトキ峠に上られ御髻を櫛上げされ、遠く海路を眺められたと伝わる。湊柱神社の創立年月日は不明であるが、高鍋藩の著した「続本藩実録」に文化元年(1804)八月八日立岩湊権現にお上(秋月藩主種徳)より銀一匁、雨乞いのお供料として奉献あった旨記載されている。両神とも水戸を司り、また水戸にあって祓除を掌る神である。また明治三十九年四月「勅令第九十六号第一条ニヨリ神饌幣帛料ヲ供進スヘキ神社」として社格が村社になっている。 宮崎神宮 矢研の滝 「日本の滝百選」の一つ。県内唯一の国指定名勝「尾鈴山瀑布群」を代表する滝。神武天皇がご東征の折、矢を研がれたのが名の由来。 宮崎県観光協会 湯之宮神社 座論梅の道路を挟んだ向かいに、鎮守の杜に囲まれひっそりと佇む神社。神武天皇が東征の折、ここに立ち寄り湯浴みをしたと伝えられる「神武天皇御湯浴場跡」が残っています。 宮崎県新富町おすすめ観光情報サイト 鉾島神社 鉾島はご東遷の際、鉾を納められた地として顕彰されている。神日本磐余彦命は日向より船師を率いて、ご東遷の時、此の島の口(細島港口)にうの鳥が多く群れるをご覧になり、此の島は鳥辺島(とりべしま)かとの詔せになった。これが今の「とべ島」である。これより進んで今の枇榔島(びろがしま)辺りにて大鯨の海中に浮沈するをご覧になり、お持ちの鉾を以て、その鯨を突かせ給へばさながら美女に化し、天皇に向かって申し上ぐるに我は此の辺に住める者、今子を生む間、何卒一命を助けたまへと一心に申せば、天皇憐みて是を許し給へば始めの大鯨に化り海中に沈みたり。天皇詔して此の島は美女が島かと号し給へり。暫くして、追風凶くなり後に舟を返して此の島に懸らせ給ふた、その時此の地に釣する海人が小舟を浮かべて急いで返るを呼び止めになり何に故に急ぎ返るかと問わせ給へば海人どもが申すには四時日の半ばより大魚が来るからそれが恐ろしさに返ると申せば天皇曰「それは釣する日が少ない。出漁が自由でないであろう。此の後は此の島辺に来ぬ様に致して置うとて此の鉾を島に納置した故に是を三鉾神として祭るべし」とて以前鯨に突きし鉾を此の島に建てられ此れは鉾島かと詔が有ったので海人どもは大いに悦び有り難い事ぢゃこれは鉾島の鉾神様ぢゃと悦び帰った。此れより海人どもは鉾島鉾島と号へた。後世何にとはなく細の字になしたるものである。 昭和九年神武天皇紀元二千六百年の記念祭が全国に執行せられた時県下七聖地の一つとして顕彰せられ当時全国奉賛会会長故齋藤実子爵の御来町を仰ぎ盛大なる式典が挙行せられたのである 宮崎神宮 甘漬神社 甘漬はご東遷の際御駐輦された所として顕彰されている。甘漬神社はその時、みずから大神を奉斎し群臣将兵と共に武運長久と国土の平定をご祈請されたのが創祀の始めといい伝える。ここにご滞留中、さる高貴な御方が死去され、その方を葬った古墳が神社境内の中央神木老樹うっ蒼たる内にある。当社の例祭毎に第一にこの古墳に御幣を奉上し、その後本社の祭典を執り行うことを古例としてきた。棟札によれば、甘漬三所権現として、天文六年(1537)に再興されており、その後も、慶長二年(1597)卯月、寛永七年(1630)十二月再興の記録がある。「県史蹟調査報告」によると歴代秋月氏の篤く崇敬した社で、慶長二年丁酉卯月には、秋月三左衛門種近公より神領七石五斗、営繕その他一切の寄進があった。その後も、社参、代参等度々あり、社殿の改築修理もなされた。明治四年十一月村社となり、明治四十年七月、地元の愛宕神社を合祀した。 宮崎神宮 伊勢本社 神武天皇東征の航海中、暴風雨のため航行に難儀され、芹崎を回って左方に湾入する津(畑野浦)に皇艦を入れられました。そこで、神前に海の幸・山の幸を供えて天候の回復と海上の平穏を祈られたといわれています。その折、神武天皇自ら天津神に供えられた飲み物を盛った斎器が、伊勢本社の御神体であると伝えられています。なお、上入津地区護国神社・恵美須神社・琴平神社が、本殿に合祀されています。 ツーリズムおおいた 早吸日女神社 佐賀関沖の豊後水道には、蛸(タコ)にまつわる伝説が残っています。紀元前667年、神武天皇が東征の際に、速吸の瀬戸(豊後水道)の海底に大蛸が住みつき、潮の流れを鎮めるために守っていた神剣を、関に住む海女姉妹が海底深く潜って大蛸よりもらい受け、神武天皇に献上したと言われています。早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)は、その神剣をご神体とした神社で、古くより厄除開運の神として地元の人の信仰を集めています。また、神剣を守っていた蛸も崇められており、蛸の絵を奉納して一定期間蛸を食べずに願い事をすると成就すると言われる「蛸断ち祈願」を行っている全国でも珍しい神社です。境内には大きな藤棚があり、毎年5月3日には「ふじ祭」が行われています。 ツーリズムおおいた 神の井 神の井むかし神武天皇東征のみぎり 日向(宮崎)を舟出して ハヤスイノミナト 豊後水道を北上された征途 たまたま この地に寄港されたと伝えられる。沖合に舟撃ぎの岩と呼ばれる大小二ツの岩があり日向泊の地名もその故事に由来するという。その時天皇は島中に水なきを憂い弓矢で海岸を掘るとたちまち美しい豊かな清水が湧き出たと伝えられる。この神の井は満潮時には海水に没する不思議もあって大切に保存されている。日本の昔を偲ぶ 文献 古事記 日本書紀の説話はとおい祖先の昔から語り継がれ 私たちの郷土に生きている。佐伯市観光協会 現地案内版 大川内神社 当社は、古くは地王権現と称していた。地王権現は、慶安四年(一六五一)宝殿再興、正徳五年(一七一五)奉寄進の棟札がある。これにより約三四〇年以前に造立されたものという。明治四年(一八七一)十二月村社となる。主神吾平津媛は、神武東征に御子手研耳命を随伴させ、みずから吾平の地にとどまり、ひたすら夫の君やわが子の御東遷、武運長久を御祈りになったという。 大川内神社境内由緒書 吾平津神社 当社は元明天皇の御代の和銅二年(七〇九年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥十一社の一つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し伊東祐相知事の意により吾平津神社と改称され、昭和八年郷社となる。境内に御門神社二社があり櫛磐間戸命・豊磐間戸命の二柱の神をお祭りしてあります。その外に境内末社として祖霊社、又豊漁及び商売繁盛の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。主祭神の「吾平津毘売命」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」が狭野尊と称され、また日向に在られた頃の妃であり「古事記」によればお二人の間には「多藝志美々命」・「岐須美々命」二人の皇子ありとあり、又「日本書紀」によれば「手研耳命」お一人の皇子ありとある。神武天皇が皇子や郡臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすために東遷された時、「吾平津毘売命」は同行されず当地に残られ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。この故事により、当神社は交通安全、航海安全、商売繁昌、諸祈願成就の神様として篤く信仰されています。 吾平津神社境内由緒書 和尚山 和尚山周辺説明板~ ①~③ 省略 ~④一柱謄宮(あしひとつあがりのみや)神武天皇の東征の折、日向から莬狭(うさ)に到着した天皇一行を莬狭津彦(ひこ)莬狭津媛(ひめ)がこの地に宮を造りもてなしたと伝えられている。~ ⑤~⑨ 省略 ~ 和尚山周辺説明板 宇佐神宮 神武天皇聖蹟莬狭顕彰碑日本書紀によれば、神武天皇は御東征のとき、日向を発たれ、椎根津彦命の水先案内で豊後水道の難所を通り抜け、宇佐に上陸されました。このとき宇佐国造の祖である莬狭津彦命・莬狭津媛命が天皇一行をお出迎えになり、一柱謄宮を建て饗(ご馳走)を奉ったことなどが記されています。これを記念して昭和十五年にこの顕彰碑が建てられました。一柱謄宮跡は寄藻川に架かる呉橋の南側の高台と伝えられ、この一帯は謄隈とよばれています。宇佐上陸の地とされる和気地区には柁鼻神社が、また大尾山の東側台地には椎根津彦命を祀る椎宮が鎮座しています。 宇佐神宮境内顕彰碑 妻垣神社 今より2650年も遥か昔、日向を発し東国へ向かわれる神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は、この宇佐の地「妻垣」に立ち寄られました。その際、宇佐国造の祖であるウサツヒコ・ウサツヒメは皇軍一行を快く迎え入れ、歓待申し上げたと記紀(「古事記」「日本書紀」)に記されています。翌朝、天皇は朝霧の素晴らしいこの地をいたくお気に召され、連なる山々よりひと際輝く共鑰山(別名-妻垣山)の大石に母后玉依姫命(比咩大神)の御霊をお祀りするため、自ら祭主となり、玉依姫命の御霊を共鑰山にお迎えしました。その大石は「足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)」と名付けられました。このことより当社の歴史が始まりました。 妻垣神社 柁鼻神社 八幡総本社である宇佐神宮一帯は、神武天皇東遷の聖蹟とされ、椎根津彦命(椎宮の御祭神)に先導された神武天皇一行はこの柁鼻の地に上陸されたと言われている。「日本書記」によれば、宇佐の豪族 菟狭津彦・菟狭津媛の御兄弟が天皇の御一行に一柱騰宮を建てて大御饗(食事)を奉りお迎えしたと伝えられるのが、此の宇佐の地である。また、この時神武天皇の勅諚により天種子命(後 藤原氏)は菟狭津媛を妻としたことによって大和朝廷と宇佐との関係がより深くなる。よって、この柁鼻の地に三柱の神を祀りお社を建てたのが柁鼻神社の始まりである。八幡宮御祭神の神宮皇后は三韓出兵に際し、和間の浜において軍船を築造し、ここにて柁神祀ると言われている。また、勅使・和気清麿公上陸の地とされ、東側に船繋石の遺跡がある。 柁鼻神社境内由緒書 岡田宮 当宮は古代、崗地方(旧遠賀郡)を治めていた熊族が洞海・菊竹浜(貞元)に祖先神を奉斎した地主神にて、岡田の宮と称し、この地を熊手と号す。神武天皇日向国より東征の途次、当宮に詣り天神地祇の八神(八所神)を奉斎し、この地に留まり給う由「古事記」にあり。仲哀天皇8年(199年)、神功皇后、三韓征討の折、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に到り、当宮に詣り八所神を親祭する由「日本書紀」にあり、これを岡田の三宮と称し「天」「地」「人」の三才を表す。古来当地は北部九州における海陸路(洞海船留、皇后崎津、太宰府官道)の要に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬篤く、祭礼法度を定め社領18所、末寺9坊と栄えたり。天慶3年(940年)、藤原純友追討の折、追捕使の主将・小野好古、副将・源経基、戦勝祈願の為に当宮に参詣し、三環鈴を奉納す。此の神鈴今も当宮に伝来す。建久5年(1194年)、征夷大将軍・源頼朝の御家人・宇都宮上野介重業、平家討伐の功によりて筑前国遠賀・鞍手両郡のうち三千町を賜わり、当宮の祭祀を波多野重満大夫藤原兼直に奉仕せしむ。永禄2年(1559年)、大友宗麟の兵火に遭い社殿焼亡するも、永禄8年(1565年)、麻生上総介元重、社殿を再興せしむ。此れの棟札今に残れり。慶長10年(1605年)、黒崎城築城の際に筑前六宿の起点となりて現在地に御遷座され、福岡藩祈祷社・黒崎宿の産土神と定めらる。爾来、藩主はもとより、長崎街道参勤の九州諸大名の崇敬篤く、社殿造営・社参奉幣等多く、又上り下りの文人墨客等数多く参詣せり。慶応元年(1865年)三条実美卿、大宰府に流謫の途次、従士・土方久元を伴いて当宮へ参詣し、維新回天の大願成就を祈念し和歌一首を奉納す。現在では黒崎熊手地区50余町の産土神と敬仰され、近隣在民は勿論、広く北九州圏一帯よりの参詣多し。 岡田宮 神武神社 当社は、此の村の氏神なり。神武天皇が東征の折、この地に暫く鳳輦を駐め給う。その陣跡に社を建立す。神武天皇が天照大神から六世に当り給う故「六権現」と号し奉ると申し伝う。その後明治に入り「神武神社」と改称す。 神武神社境内由緒書 一宮神社 この地方の氏神、王子神社大歳神社諏訪神社の三社を昭和二十五年六月吉日に合祀し社号を一宮神社と誦します。王子神社は神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり一年間政務をみられた宮居の地で境内には古代祭場等考古学的にも貴重な跡があります。大歳神社は三代実録や続風土記にも表れている古くて且、由緒深い神社であります。諏訪神社は、花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀し、厚く祭られた神社であります。 神武神社境内由緒書 神島神社 当神社は、延喜式神名帳に備中小田郡神島神社とあり、式内社である。御祭神は神日本磐余彦命(神武天皇)と興世姫命を奉斎する。創建は奈良時代(726)神亀3年と伝えられ、室町時代(1547)天文16年に本殿の御造営が行なわれていることが棟札によって知られる。大正15年8月15日に第6回目の改修工事を行なった。命は、皇祖皇考神聖にして日向より東征の砌、吉備高島に8年間駐屯された。その後、海上より熊野に至り大和平定後、橿原の地に第1代践祚の大偉業を成された。妃興世姫命は、部下を率いて当地に駐留され天業を扶翼してこの地に崩御された。近郷住民は、命たちの高き尊き御神徳を畏みて一大崇敬産土神と斎き祀った。 岡山県神社庁 神上神社 神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は、遠大な建国の御計画のもとに、舟師をひきいて、日向高千穂を進発され、長い年月と幾多の辛酸を経て大和を御平定、橿原宮において我が国初代の天皇として御即位になった。この神上の地は、天皇が日向御進発の当初、海上の遭難によってお立寄りになり、半年の間をお過しになった行宮であり、御東行の途次、暫し安らかに憩われ、深くみこころに留め給うた聖跡である。天皇は、日向より筑紫国を経て海路内海を御東行中、周防灘に至り思わぬ風波に御遭遇、北の方へ吹寄せられたので、ほど近い小島(竹島)にお舟を留められた。この時天皇は御舟酔甚しく、島の対岸に漕ぎ入れてお休みになった。里人は種々の薬草を献じ御快癒をお祈りした。これを含まれると忽ち御快くならせられ、「我心たいらかなり」と仰せられ、里の名を「たいらの里」(平野)と命名された。さらに、浪音のきこえぬ地でお休みのため、水際伝いに進まれると里があり、此の処の石に御腰をお掛けになるうちに夜が明けた。この地は海上より微かな光を見た吉兆の地であり、微明(見明)という。ここより山の麓をおのぼりになると、谷水の音が幽かにきこえる静かなところ、彼方に黒髪島 仙島などが夢のように浮かぶ瀬戸の海を眼下にした絶勝の小高い丘にお着きになった。ここに假宮の御造営を仰せ出された。天皇は、近い高根に登って四方の地勢をご覧になり御東行の道を御案じになった。この時、四匹の熊が地に伏し頷いたこの山を「四ツ熊の峯」(四熊嶽)と名付けられた。およそ半年、この假宮で態勢を整えられた天皇は、「御舟は海の上を経よ、我は陸地を行かん」と仰せられて再び御進発、安芸国・吉備国を経て遂に大和へお入りになり建国の方図は成った。天皇は、この神上の地に深く御心をお留めになり、御出発にあたって「朕何国ニ行クトモ魂ハ此ノ假宮ヲ去ラザレバ長ク朕ヲ此ニ祀ラバ国ノ守神トナラン」と宣らせ給うた。里人等はその御旨を畏み、假宮の地に祠宇を建立し、「神上宮」と称して斎祀し奉った。 神上神社境内由緒書 箕山 箕山と神武さま箕山は、標高四〇〇m、ここからは、平生平野を一望に見わたすことができます。古い昔この山頂に神武天皇がたちよられたという言い伝えがあり、明治初年大野の里人や近郷の人々により祠が建てられました。その後、「神武天皇遥拝所」とされ里人から「神武さあ」とあがめられてきました。昔は、四月三日の例祭に、神舞や出店もあり、山登りをかねた人々で大変賑わったということです。「大野村郷土誌」より尚、神武天皇を祀った神社として近隣には、新南陽市富田の奥地、徳山市大字下上に神上神社があります。昭和六三年五月一五日 平生町観光協会 現地案内版 懸幡神社 本神社は、神武天皇御東征の際、富島の宮から吉備の奥津方面に荒振る神がいると聞いて、平定しようとこの里に入られた時に、山の峰に御旗が懸かっており、その旗には武甕槌命、経津主命の御名があったので、この地を懸幡といい2柱の神を奉祀したと伝えられている。 創祀時は掛畑明見に鎮座していたが、明治45年5月11日に現在地に遷座し、御崎神社外数社を合祀した。 岡山県神社庁 幸地山神社 当社は、主祭神に応神天皇・相殿に神功皇后及び姫大神を祀る。 数度の火災により古文書は焼失したが、「備陽国史」によると八幡宮は京都山城国石清水八幡宮、天満宮は京都北野天満宮から勧請された。 邑久郷はもと太伯(おく)の郷と言われ、邑久郡の原(もと)で総社をこの地に定め、古来祝祭日には、郡内式内外古社18 社の神を奉斎し、里人は総社様と呼び、崇敬した。 幸地山は「いでましどころ」と称し、天皇行幸地の意で、神武天皇御東征の時、御船を停め山の南端鳥越から、景色を眺望された所である。 また、古老の口碑によると寿永年間源平合戦の際、当社にあった鐘を弁慶が陣鐘に持ち去り、今は屋島寺にあるという。故に、備讃瀬戸の船頭歌に「屋島の鐘の音聞けば備前恋しや程遠や」と歌われている。 岡山県神社庁 麻御山神社 本国総社神名帳に「麻御山神社」、山本氏本本には「従五位麻御山神」と記されている。貞享元年の神社改帳には、「祈祷村麻御山大明神」と、また宝暦年中の神社書上帳には「邑久郷村之内吉塔山麻御山大明神」とある。今も神山を麻御山という。神武天皇の御東征に御供をした者が、天皇が吉備の高島に御滞在のとき、詔によって斎服を調進するため、ここに麻を植え紡績なさったのがもととなって奉斎した神社である。 岡山県神社庁 綱掛石神社 創建年月日不詳。神武天皇東遷の時、御船の纜を掛けられたという大きな石がある。この石の下に奉斎されている社であって、安仁神社の末社として地方民の崇敬が厚い。周辺には環状列石らしい磐境(いわさか)があり古代の祭祀跡とみられている。この地より高島が一望できる。 岡山県神社庁 伊登美宮 創建年月日不詳、伊登美宮は屯集宮の義で、神武天皇の御東遷の時、従い奉った将士の駐屯した処で、幾多の神を祭る社である。昔より安仁神社の摂社として地方民の崇敬が厚い。 岡山県神社庁 松江伊津岐神社 邑久郷はもと太伯(おほく)の郷と言い、神武天皇御東征の砌、皇兄五瀬命、若御毛沼命(神武天皇)日向より海路吉備高島を経由、この太伯の海に到りて兵食を備蓄し舟櫂を修補した。大御船を待ち齋奉れる古跡である。松江は待江の義である。往古国の総社において祈年、新嘗の祭典があったときは、国司の祭典に預ったという。一時は杵築大明神とも称した。安仁神社より神官奉務し摂社とあるが、備前国古社128社の一社であり、古くは末社ではない。五瀬命は太伯の海から東行し難波の碕に到り河内の国にて長髄彦と挑戦し給ふ時、賎夫の流矢に当り戦死した。神武天皇は大和の国に入られ給ひ登極された。五瀬命ゆかりのこの海辺の御在所跡に霊宮を建営した。弘安8年(1285年)備前国神明帳に128社邑久郡18社正五位下松江伊津岐明神とある。本国総社の神主綿抜藤大夫家に持伝えた国内神明帳に松江伊津岐明神と見え、吉備津彦神社の左楽頭熊代氏の本には松江伊津岐神とある。応永33年(1426年)写本備前国上東郡(邑久郡)八日市村(行幸村)津野宮八幡宮神職山本氏所蔵国内神名位記に従五位上松江伊都岐明神とあり、金剛寺本に従五位下松江伊都岐明神とある。 岡山県神社庁 乙子神社 当社は乙子城山に鎮座する神社である。創立は詳かではないが本殿内に乙子大明神、延喜4年(904)4月22日御内陣新調の記載がある。 御鎮座の山は往古角岬と称え、西南とも入海になっており、東方から4キロメートル余り突出している。 若御毛沼命は五瀬命(安仁神社)の御末弟であって、乙子大明神と尊称し奉った。「備陽国誌」に乙子村若宮大明神として見えるが同一神と思われる。 また、神武天皇が御東征の際、御登臨されたとも伝えられている。近くに安仁神社や御東征の際海路を御嚮導された珍彦命が祀られている神前神社などがあるのはこれに係わりが深いと思われる。 浮田直家が岡山城を築いた時、社領田を奉納し、大いに崇敬した。また、備前藩主池田公も社領5斗を献じた。 岡山県神社庁 亀石神社 ここは、神武天皇の水先案内をした神が乗った大亀の化身(亀岩)を祭った神社で、毎年旧暦6月15日には、ちょうちんを飾った美しいシャギリ船が湾内を巡回する古式豊かな満潮祭が催されます。 現地看板 家島神社 播磨灘の中央に、44とも数えられる家島諸島が浮かぶ。ここは国生み神話の伝承地、そして、海洋交通の要衝として重要な位置にある。当社の鎮座する家島本島は、諸島の中でも特に入り江が奥深く、絶好の港になっている。伝えられる処では、神倭磐彦命(神武天皇)が、大和橿原の地に向かわれる途次、当地へ御寄港になられたところ、港内が風波穏やかで、あたかも家の中にいるように静かであったので「いえしま」と名付けたという。当社はこの時、武運長久と海上航海の安全を祈願して天神をお祀りしたに始まると伝わる。家島諸島・播磨灘総鎮守である当社は、承和7年(840)官社に列せられ、つづく『延喜式』には「名神大」としてその名を連ねている。境内地は岬の突端に位置し、境内全域にウバメガシ、シイ、トベラ等が生い茂り「天神の森」と呼ばれ瀬戸内海国立公園に指定されている。境内入り口には、菅公上陸の地とされる「詩オ書き石」と呼ぶ岩場があり、大鳥居横には万葉の歌碑がある。平成13年(2001)に天神の森の保護も考慮し、海岸線を中心とする境内整備の大事業が施された。当神社は、神倭磐彦命(即位して神武天皇)御東征の砌り、御寄港室の内の如く静かなるを以て家島と名付け、天神を祀り、皇師の武運長久と海上安全を祈願し給うとぞ、又神功皇后三韓御門出の時天神を祀り給ふに山中ゆりければ、ゆるの山と古歌にもよまれ、朝廷の御崇敬篤く、第四十八代称徳天皇天平宝字8年3月7日揖保郡福井庄家島の高島に支那福州の賊船襲来屯す、時の国司藤原朝臣貞国下知して、戦勝を祈願せしめ、これを撃退神威毫し衰へず播磨を往来する船舶は、風波の難を祈り、崇敬怠る事なし。故に仁明天皇承和7年6月官社と為り、醍醐天皇延喜の制に式内名神大社となる。此の大神は国土を開墾し、海運、漁業、医薬、禁厭酒造の方法を定め、温泉を開発人畜の病に悩むを助け給ふ最も尊き神に坐す故に、大己貴神は大国様、少彦名命は薬神様として崇めたる。 兵庫県神社庁 保久良神社 古くは「あをぎ」と書いており、ここから丁度北の山中にある保久良神社の祭神椎根津彦命が青亀(おうぎ)の背にのってこの浜に漂着したとあり、落合重信『埋もれた神戸の歴史』によると沖縄における「オオ(青)の信仰」という対岸の島ないし浜辺の社を死後の世界・聖地とする信仰がかつては広く日本にあったのではないかと各地で研究が行われており、これも微かな「オオ」の痕跡ではと言われている。この辺りには神が波間から漂着したといわれる所が多く、そこから東の森稲荷神社もそれである。 Wikipedia 椎根津彦神社 神武天皇は、大歳甲寅(西暦紀元前、六六七年前)東遷の為、日向国を出発せられ、その年の十月、当地速吸の瀬戸に於いて珍彦命の奉迎を受け、命に御名を椎根津彦と賜わる。椎根津彦名は統治より、水先案内として皇軍に従軍し、屡々勲功をたて、建国の偉業達成に盡瘁せられた。皇紀二年(西暦紀元前六五九年)春二月、天皇は論功行賞を行い、椎根津彦命を倭国造に任ぜられた。(日本書紀)これを伝え聞いた当地の里人たちが、小祠を建てゝ命を祀ったものがその創祀と伝えられる。【以下略】 椎根津彦神社現地由緒書 茅渟神社 大阪湾は古くは「茅渟の海」と呼ばれていました。神武天皇東遷の折、傷ついた兄の五瀬命が近くの「山の井」で血を洗い、海が血で染まり「血の沼」となった事が「茅渟」の由来と伝わっています。茅渟湾(大阪湾)でよく揚がる「チヌ鯛」(黒鯛)の大漁祈願に、全国から釣り人が訪れます。 泉南市観光協会 水門吹上神社 水門神社社伝によると、昔、紀水門の海上に、夜ごとに神光顕われ、いつしか波に従って浜辺に打ち上げられたのを見ると、戎様の神像であったと言う。そこで、湊村字和田濱鵜島に祠を建て、これを齋き祀っていたが、明應年間(1491―1500)に大海嘯が起こって砂に埋没したので、住民らが今の西河岸町字元恵美須に移し、更に大永3(1523)年6月23日、現在位置に鎮座したものである。吹上神社は、昔は、吹上三本松(今の植松町の南)と言う所に鎮座していたが、天正年間(1573―1591)、此地に合祀したものである。その後、しばらくは、相殿でお祀りしていたが、後に、社殿を分け二神相並べてお祀りし、第二次大戦迄、水門神社・吹上神社と称していたが、戦災により社殿一切が消失し、戦後は、同床共殿によりお祀りし、水門吹上神社と称するようになり現在にいたっている。水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が御祭神で、2柱の福の神をお祀りする全国でも例の少ない神社である。(鎮座地)現在の鎮座地は、神武天皇が御東征のみぎり、御皇兄の彦五瀬命が、和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく、崩御されたと言われる旧跡である。『古事記』に言う「男水門」とはこの地であると伝えられ、境内には、聖跡記念碑が立っている。(十日戎)神社は、紀州の十日戎祭発祥の社として知られ、正月9日、10日、11日の十日戎には、福を授かるべく老若男女が参詣し、吉兆(福笹)を求めて帰る人のおびただしい事は、今も昔も変わりない。又、現在では、よく知られている「のし飴」も当社が発祥の物であり、これは紀州独特の物で、他では見られない。(牛の舌餅投げ)牛の舌餅という畳1枚程ある「のし餅」は、毎年11月23日の新嘗祭に、神饌として、御供し、祭典終了後、参詣者に、他の奉納された餅とともに、投げ配られている。これは何時の頃より始められたか詳らかではないが、牛祭りに投げたものと言われている。 和歌山県神社庁 男神社摂社浜宮 天神の森一帯は、往昔における海面であり、当時は水深もあり、船舶の碇泊に適した地で山城水門と言われた。日本書紀に皇兄五瀬命が「敵に報いることなく手傷を追って死ぬとは残念極まりない」と雄々しく叫ばれたとあり、そのことから雄水門と呼ばれている。 現地看板 竈山神社 御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。今の社地は即ちその遺跡で、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記され、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社であり、天正年間まで社領8町8段を有したと伝えられている。往古は社殿も宏大にして現地か東南山麓に鎮座し給うたが、戦乱の世を経て社頭衰微し、徳川氏の入国後、社殿を再興した。明治18年、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、昭和13年には国費及び崇敬者の献資を以って社殿を造営し、境内を拡張して現在に至っている。寛政6(1794)年冬、国学者 本居宣長はこの社に詣でて「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」と詠んだが、竈山の岩根に鎮ります神霊は、日本の国の行手を永久に譲り給い、導き給うことと拝し奉る。 現地看板 宇賀部神社 古記録は戦国時代の兵火で焼失して、由緒を尋ねる確たる典拠がない。しかし鎌倉期よりの神職、小野田家所蔵の文書によれば、「山城国、愛宕神社を勧請す」とあり、古来、祭神3柱の中央祀神たる「宇賀部大神」を「迦具突智神」とする説に符号する。 また一説には、神武天皇ご東征のみぎり、皇軍に随順することを肯じなかった名草戸畔の首級を祀るともいわれ往古より頭の守護神として、「おこべさん」の愛称で広く親しまれてきた。荒八王子命は、もと現在地の東方100㍍に、若宮八幡神社は南方約400㍍、高倉山の中腹に鎮座していたが宝暦4年(1754)、本殿新築に際して、この地に合祀された。当神社は「紀伊続風土記」によると、「一村の氏神にて社殿壮麗なり・・・宮作及ひ境内の形状 尋常村落の産土神とも見えす 必古官知の神にして後世その神名を失ひしものならん」とあり、古くは由緒ある知名の神社であったが乱世を経て、衰微したようである。元来、頭病平癒の神として尊崇されてきたが、現在では学業成就や入試合格等を祈願する若人の数が増え、四季を通じて祈願者の後は絶えない。なお、境内社として太神宮、天神社、山王神社、稲荷神社、祇園神社、多賀神社、秋葉神社、弁財天神社が祀られている。 宇賀部神社 杉尾神社 神武天皇軍に倒された名草戸畔の胴を祀っていると伝えられる神社。神額の隣には大きなしゃもじがあり、絵馬とともに「しゃもじ」が奉納されるなど、「おはらさん(お腹の神様)」として信仰を集めています。 和歌山県観光振興課 千草神社 古くは百草神社と言った。勧請年月日は詳かではないが、『紀伊続風土記』に「田津原・伏山・大谷 三ケ村の産土神なり 祀神詳かならず 百草は地名と見ゆ 応永・永正などの文書に百草の森の名見えたり……」とある。旧記に「百草明神は人皇第三十六代孝徳天皇大化三丁未年雨ノ森と言ふ所へ御鎮座、右末社七社有……」とある。雨ノ森とは百草の森のことと考えられるので、いずれにしても相当古くからのものと思われる。明治43年、熊野神社(海南市別所)及び八王子神社(海南市扱沢)を合祀、社号を千種神社と改めた。一説には、神武天皇ご東征のみぎり、皇軍に随順することを肯じなかった、紀北地方を支配していた豪族である名草戸畔の足を祀るともいわれる。そのことから、神前に履物を供え、足腰の無病を祈る風習があり、足神様としてあがめられている。境内には樹齢700年を越える老楠があり、中に地蔵を巻き込んでいる。里謡に「行たら見て来ら 重根の宮の 楠に巻かれた地蔵尊」というのがある。100年程前までは、地蔵尊の一部を見ることが出来たらしいが、今は完全に巻き込まれてをり、その姿を見ることは出来ない。 和歌山県神社庁 神倉神社 神倉神社の創建年代は128年頃といわれているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて[2]、あめのいわたて)の山であるという。このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)には神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられている。 Wikipedia 阿須賀神社 当社は、古事記、日本書紀に記されている熊野村、熊野神邑であり、遠く第五代孝昭天皇53(皇紀238)年3月の創祀と申される。御承知の通り、伊邪那岐・伊邪那美2神の熊野に参られ御産みになった神々をお祀りし、從って熊野は黄泉の国、常世の国と読まれ、熊野発祥地とも云われている。阿須賀とは、阿は接頭語、祭祀生活を営む好適条件を備えた霊場とか、或は浅州処と名づけられる地名で、飛鳥山を御神体とする神の鎮座地としての信仰が古くからあったようである。社後の森蓬莱山(飛鳥山)は、第七代孝霊天皇6(皇紀376)年、秦人徐福、始皇帝の命をうけ不老不死の仙薬を求め献じ奉らんと、童男童女3千を卒い、五穀百工を携えて東海に船を浮べ、常世の郷、熊野邑、即ち飛鳥に参って帰らず子孫繁昌したと伝えられる徐福の宮がある。(社殿造営)徳川幕府歴朝の聖慮を奉体し、昔時の尊厳を保持し造営維持の方法を設け、嘉永7(1854)年に将軍家定紀伊国主をして社殿の再建をなし、其の結構偉麗でしたが戦災の為悉々烏有に帰したが昭和51年に銅板葺社殿が復興した。(蓬莱山[飛鳥山])飛鳥の森は古来禁足地となっていた聖域であり権現御創祀の神蹟、即ち初は孤立した斎島(神の森)原始期の磐座であって其の麓には上、下、両古代祭祀遺跡と、後世両部信仰に関係深い熊野諸尊御直体埋納所(経塚)を営み、熊野信仰の一霊所であったことがわかる。今に至るを蓬莱山に対する信仰には変りない。(境内三光社)熊野三毛津神として尊稱され又夫須美の荒御魂、熊野党の母神ともいわれるなど其の創社は普富として更に古代にさかのぼると思われる。(徐福宮)第七代皇霊天皇の頃、秦の徐福が神薬を求めてこの熊野に来り、この地に奉祀されたと言われる。(神宝)古神宝等は国立博物館蔵として保存されている。此の外、近年発掘発見された多くの弥生須恵、土師器の外、祭祀遺物を始め和鏡、銅板彫鏡、御正体諸尊像は、それぞれ御由緒深いご社暦を証するものである。 和歌山県神社庁 渡御前社 境内は神武天皇頓宮跡と伝えられ、古来、速玉大社末社と江戸時代の古書に記されている。明治四年本社へ合祀。昭和四十六年五月二日に再建した。 渡御前社現地由緒書 高島宮 斎島神社:尾道市 昔神武天皇、東国に行かれるとき、風波のため航海ができず、この大浜に船を留め、塞崎山にて数日嵐の靜まることを天神に祈られた。即ち此の島は齋島である。後に変って隠の島となる。その由来により神亀四年十一月十五日、社殿を造り厚く祭った三代実録にある従五位下の隠の島一の宮とは当社であるとの云い伝えがある。 斎島神社由緒書 高島神社:笠岡市高島 高島神社の創建は不祥ですが神武天皇を祀り、明治維新までは「神武天皇宮」「神武天皇社」と呼ばれて崇拝されていました。社は小さいですが神武天皇が東征された際の仮宮である吉備高島宮の跡と言われています。 笠岡市観光協会 高島神社:岡山県岡山市南区宮浦 創建は神武天皇乙卯年三月、神階は従五位下である。神武天皇が御東征の砌、当地に行宮を創設せられたのにはじまる。光仁天皇の宝亀三年に相殿として四柱の神を奉斎した。古事記に記載してある高島宮とは本神社のことで、(即ち昭和十五年五月六日文部省から官報第三九九六号で高島宮伝説地として指定せられた)往古から朝廷、国司、藩主の尊崇厚く、神封、社領或は社殿の新改築等の寄進があった。明治維新に村社に列格した。昭和二十一年一月十四日に由緒上は県社に該当するものと神祇院考証課長から確認を受けている。 岡山県神社庁 八幡神社:広島県福山市 古来神武天皇ゆかりの宮として武ノ宮八幡宮と称えられたが、明治四年神祗制度の改革により、村社八幡神社と改称される。 現在は昭和27年の宗教法人法により、八幡神社の名称となっているが、ここに由緒ある社名を社号標に表記する。 八幡神社御由緒書 皇森神社:広島県福山市 神武天皇(即位前)が東征途中に立ち寄られた行宮跡として語り伝えられ王太子さんとして古くから住民に親しまれてきた。一九三五(昭和十)年四月には、当時の高島史跡顕彰賛助會の手により、吉備高島宮記念碑が建立され今も残されている。境内には、樹齢数百年の椋の樹や、松、榎の高木が立ち並んでいたが、現在は椋の樹三本だけが、その名残りをとどめ、大日本老樹名木誌に掲載されていた樹齢千年の大椋樹も、明治時代の大火に焙られ、今は二世の時代になっている。内海町教育委員会文化財保護委員会 皇森神社由緒書 神島神社:笠岡市神島外浦 当神社は、延喜式神名帳に備中小田郡神島神社とあり、式内社である。御祭神は神日本磐余彦命(神武天皇)と興世姫命を奉斎する。創建は奈良時代(726)神亀3年と伝えられ、室町時代(1547)天文16年に本殿の御造営が行なわれていることが棟札によって知られる。大正15年8月15日に第6回目の改修工事を行なった。命は、皇祖皇考神聖にして日向より東征の砌、吉備高島に8年間駐屯された。その後、海上より熊野に至り大和平定後、橿原の地に第1代践祚の大偉業を成された。妃興世姫命は、部下を率いて当地に駐留され天業を扶翼してこの地に崩御された。近郷住民は、命たちの高き尊き御神徳を畏みて一大崇敬産土神と斎き祀った。 岡山県神社庁 諸説 大元山・高須八幡神社 広島県尾道市高須 御蔭山・貴船荒神社 広島県福山市柳津町 王太子神社 広島県尾道市浦崎町 産土荒神社 岡山県倉敷市児島塩生 高島神社 岡山県岡山市中区賞田
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東京都城南地区(品川区・大田区・目黒区・世田谷区):被災・救援図書館情報 東京都城南地区(品川区・大田区・目黒区・世田谷区):被災・救援図書館情報入力フォーマット(※下のリスト「被災・救援図書館情報」に貼りつけて使いましょう) 品川区品川区立品川図書館 清泉女子大学附属図書館 大田区大田区立馬込図書館 大田区立洗足池図書館 大田区立多摩川図書館 大田区立蒲田駅前図書館 目黒区目黒区立八雲中央図書館 世田谷区東京学芸大学附属高図書館 世田谷区立経堂図書館 入力フォーマット(※下のリスト「被災・救援図書館情報」に貼りつけて使いましょう) ※先頭の空白は削除してください。 *市町村名または館種区分 **図書館名 -連絡先 -〒 住所※ -電話※ -FAX※ -メールアドレス※ -被災情報: -職員・利用者の被害: -施設の被害: -蔵書の被害: -その他の被害: -運営情報: -救援情報: -自由記述(求める/求められている救援情報を詳しく記入しましょう) -(自由記述内容記述欄) -情報源: -記入者(Twitterアカウント等でも結構です) -元情報(自分の目で確認、MLへの関係者の投稿から等) ※※ウェブサイトで公開されているものに限ります。なお、特に電話による現地への安易な確認は避けましょう。 品川区 品川区立品川図書館 〒162-8433 品川区北品川2-32-3/03-3269-2301 被災情報: 職員・利用者の被害:記載なし 施設の被害:記載なし 蔵書の被害:記載なし その他の被害:記載なし 運営情報:品川区内全館において、電力供給および余震による危険回避のため当面休館。 救援情報:なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon)(2010-3-14 22 15記入) 元情報:図書館公式サイトでの掲示※運営情報のみ 清泉女子大学附属図書館 〒141-8642 品川区東五反田3-16-21 電話 03-3447-5551 FAX 03-3447-1675 職員・利用者の被害:なし 施設の被害:なし 蔵書の被害:一部の資料が書架から落下 その他の被害:なし 運営情報:2011年3月31日(木曜日)まで臨時休館 自由記述:3月末まで校内への入校も規制されております。 情報源:http //www.seisen-u.ac.jp/lib/ 記入者:東山 元情報:図書館職員 大田区 大田区立馬込図書館 〒143-0027 大田区中馬込2-26-10 03-3775-5401 被災情報: 職員・利用者の被害:記載なし 施設の被害:記載なし 蔵書の被害:書架から本落下。 その他の被害:記載なし 運営情報:停電時も手書き対応など含め開館。 救援情報:記載なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon) (2011-3-17 23 40記入) 元情報:株式会社図書館流通センター 指定管理図書館地震情報一覧(PDF)※連絡先情報は公式サイトより 大田区立洗足池図書館 〒113-0021 大田区南千束2-2-10 03-3726-0401 被災情報: 職員・利用者の被害:記載なし 施設の被害:一部タイル剥がれ。 蔵書の被害:記載なし その他の被害:記載なし 運営情報:停電時も手書き対応など含め開館。 救援情報:記載なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon) (2011-3-17 23 40記入) 元情報:株式会社図書館流通センター 指定管理図書館地震情報一覧(PDF)※連絡先情報は公式サイトより 大田区立多摩川図書館 〒146-0095 大田区多摩川2-24-63 03-3756-1251 被災情報: 職員・利用者の被害:記載なし 施設の被害:エレベータ使用不可。 蔵書の被害:書架から本落下(50冊程度)。 その他の被害:記載なし 運営情報:停電時も手書き対応など含め開館。 救援情報:記載なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon) (2011-3-17 23 40記入) 元情報:株式会社図書館流通センター 指定管理図書館地震情報一覧(PDF)※連絡先情報は公式サイトより 大田区立蒲田駅前図書館 〒144-0052 大田区蒲田5-13-26-301 03-3814-9242 被災情報: 職員・利用者の被害:記載なし 施設の被害:記載なし 蔵書の被害:書架から本落下。 その他の被害:記載なし 運営情報:停電時も手書き対応など含め開館。 救援情報:記載なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon) (2011-3-17 23 40記入) 元情報:株式会社図書館流通センター 指定管理図書館地震情報一覧(PDF)※連絡先情報は公式サイトより 目黒区 目黒区立八雲中央図書館 〒152-0023 目黒区八雲1-1-1(めぐろ区民キャンパス内)/03-5701-2795 被災情報: 職員・利用者の被害:不明 施設の被害:不明 蔵書の被害:不明 その他の被害:不明 運営情報:3月13日(日)は開館予定だが電力供給の状況によっては閉館の可能性あり(その他の目黒区内図書館も同様)。節電のため一部を消灯。取置期限と貸出期間を延長。予約確保に関する連絡(電話・メール)を3月12日~13日の間行わない。 救援情報: 記載なし 情報源: 記入者:ばろなごん(@baronagon) 元情報:図書館公式サイトでの掲示 ※運営情報のみ 世田谷区 東京学芸大学附属高図書館 〒 住所/電話番号※/メールアドレス※ 被災情報: 職員・利用者の被害: 施設の被害:転倒防止の横渡しの棒が壁から抜け落ちたり,への字に曲がったりした 蔵書の被害:上部の図書が落下 落下の衝撃で本自体壊れたものもあり その他の被害: 運営情報: 救援情報: 自由記述 司書泊まり込み 情報源: 記入者 sumira04(SLiiiC http //www.sliiic.org) 元情報 MLへの関係者の投稿 世田谷区立経堂図書館 〒 東京都世田谷区宮坂3-1-30/03-5451-0071/メールアドレス※ 被災情報: 職員・利用者の被害:不明 施設の被害:不明 蔵書の被害:不明 その他の被害:不明 運営情報:http //twitpic.com/49ns7z 救援情報:節電協力のため、当分の間20時で閉館(通常、火曜~土曜は21時30分)。 自由記述: 情報源: 記入者:岡本真 元情報:@n2coさんによるつぶやき
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岐阜県 選挙区 区域 第1区 岐阜市(旧柳津町域を除く) 第2区 大垣市、海津市、養老郡、不破郡、安八郡、揖斐郡 第3区 関市、美濃市、羽島市、各務原市、山県市、瑞穂市、本巣市、岐阜市(旧柳津町域)、羽島郡、本巣郡 第4区 高山市、美濃加茂市、可児市、飛騨市、郡上市、下呂市、加茂郡、可児郡、大野郡 第5区 多治見市、中津川市、瑞浪市、恵那市、土岐市 静岡県 |選挙区|区域|区割変更等 第1区 静岡市葵区(瀬名川3丁目の一部を除く。)・駿河区 第2区 島田市、焼津市、藤枝市、牧之原市、御前崎市(旧御前崎町域)、榛原郡 第3区 浜松市天竜区(旧春野町域)、磐田市、袋井市、掛川市、菊川市、御前崎市(旧浜岡町域)、周智郡 第4区 静岡市清水区・葵区(瀬名川3丁目の一部)、富士市(旧富士川町域)、富士宮市、富士郡 第5区 三島市、富士市(旧富士川町域を除く。)、御殿場市、裾野市、伊豆の国市(旧伊豆長岡町域)、田方郡、駿東郡小山町 第6区 沼津市、熱海市、伊東市、下田市、伊豆市、伊豆の国市(旧韮山町・大仁町域)、賀茂郡、駿東郡清水町・長泉町 第7区 浜松市中区(西丘町・花川町)・西区・南区(増楽町・高塚町・東若林町・若林町)・北区・浜北区・天竜区(旧春野町域を除く)、湖西市、浜名郡 第8区 浜松市中区(第7区に属しない区域)・東区・南区(第7区に属しない区域) 愛知県 選挙区 区域 第1区 名古屋市東区・北区・西区・中区 第2区 名古屋市千種区・守山区・名東区 第3区 名古屋市昭和区・緑区・天白区 第4区 名古屋市瑞穂区・熱田区・港区・南区 第5区 名古屋市中村区・中川区、清須市、北名古屋市、西春日井郡 第6区 春日井市、犬山市、小牧市 第7区 瀬戸市、大府市、尾張旭市、豊明市、日進市、愛知郡 第8区 半田市、常滑市、東海市、知多市、知多郡 第9区 津島市、稲沢市、愛西市、弥富市、一宮市(旧尾西市域)、海部郡 第10区 一宮市(旧尾西市域を除く)、江南市、岩倉市、丹羽郡 第11区 豊田市(旧稲武町域を除く)、西加茂郡 第12区 岡崎市、西尾市、幡豆郡、額田郡 第13区 碧南市、刈谷市、安城市、知立市、高浜市 第14区 豊川市、蒲郡市、新城市、豊田市(旧稲武町域)、北設楽郡、宝飯郡 第15区 豊橋市、田原市 三重県 選挙区 区域 第1区 津市(旧津市、安芸郡域)、伊賀市、名張市 第2区 四日市市の一部、鈴鹿市、亀山市 第3区 四日市市(第2区に属しない区域)、桑名市、いなべ市、桑名郡、員弁郡、三重郡 第4区 松阪市、津市(旧久居市、一志郡域)、多気郡 第5区 伊勢市、尾鷲市、鳥羽市、志摩市、熊野市、度会郡、北牟婁郡、南牟婁郡 近畿 滋賀県 選挙区 区域 第1区 大津市、高島市 第2区 彦根市、長浜市、米原市、東近江市(旧愛東町・湖東町域)、愛知郡、犬上郡、東浅井郡、伊香郡 第3区 草津市、守山市、栗東市、野洲市 第4区 近江八幡市、東近江市(旧愛東町・湖東町域除く)、甲賀市、湖南市、蒲生郡 京都府 選挙区 区域 第1区 京都市北区・上京区・中京区・下京区・南区 第2区 京都市左京区・東山区・山科区 第3区 京都市伏見区、向日市、長岡京市、乙訓郡 第4区 京都市右京区・西京区、亀岡市、南丹市、船井郡 第5区 福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、与謝郡 第6区 宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、久世郡、綴喜郡、相楽郡 大阪府 選挙区 区域 第1区 大阪市中央区・西区・港区・天王寺区・浪速区・生野区 第2区 大阪市阿倍野区・東住吉区・平野区 第3区 大阪市大正区・住之江区・住吉区・西成区 第4区 大阪市北区・都島区・福島区・東成区・城東区 第5区 大阪市此花区・西淀川区・淀川区・東淀川区 第6区 大阪市旭区・鶴見区、守口市、門真市 第7区 吹田市、摂津市 第8区 豊中市 第9区 池田市、茨木市、箕面市、豊能郡 第10区 高槻市、三島郡 第11区 枚方市、交野市 第12区 寝屋川市、大東市、四條畷市 第13区 東大阪市 第14区 八尾市、柏原市、羽曳野市、藤井寺市 第15区 堺市美原区、富田林市、河内長野市、松原市、大阪狭山市、南河内郡 第16区 堺市堺区・東区・北区 第17区 堺市中区・西区・南区 第18区 岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、泉北郡 第19区 貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市、泉南郡 兵庫県 選挙区 区域 第1区 神戸市東灘区・灘区・中央区 第2区 神戸市兵庫区・北区・長田区 第3区 神戸市須磨区・垂水区 第4区 神戸市西区、西脇市、三木市、小野市、加西市、加東市、多可郡 第5区 豊岡市、三田市、篠山市、養父市、丹波市、朝来市、川辺郡、美方郡 第6区 伊丹市、宝塚市、川西市 第7区 西宮市、芦屋市 第8区 尼崎市 第9区 明石市、淡路市、洲本市、南あわじ市 第10区 加古川市、高砂市、加古郡 第11区 姫路市(12区に属さない区域) 第12区 相生市、たつの市、赤穂市、宍粟市、姫路市(旧家島町・夢前町・香寺町・安富町域)神崎郡、揖保郡、赤穂郡、佐用郡 奈良県 選挙区 区域 第1区 奈良市(旧都祁村域を除く) 第2区 大和郡山市、天理市、生駒市、奈良市(旧都祁村域)、山辺郡、生駒郡 第3区 大和高田市、御所市、香芝市、葛城市、磯城郡、北葛城郡 第4区 橿原市、桜井市、五條市、宇陀市、宇陀郡、高市郡、吉野郡 和歌山県 選挙区 区域 第1区 和歌山市 第2区 海南市、橋本市、紀の川市、岩出市、海草郡、伊都郡 第3区 有田市、御坊市、田辺市、新宮市、有田郡、日高郡、西牟婁郡、東牟婁郡 中国 鳥取県 選挙区 区域 第1区 鳥取市、倉吉市、岩美郡、八頭郡、東伯郡湯梨浜町・三朝町 第2区 米子市、境港市、東伯郡北栄町・琴浦町、西伯郡、日野郡 島根県 選挙区 区域 第1区 松江市、安来市、雲南市(旧大原郡域)、出雲市(旧平田市域)八束郡、仁多郡、隠岐郡 第2区 浜田市、出雲市(旧平田市域を除く)、雲南市(旧飯石郡域)益田市、大田市、江津市、飯石郡、簸川郡、邑智郡、鹿足郡 岡山県 選挙区 区域 第1区 岡山市北区(中原、祇園、後楽園、牟佐を除く。)・南区(児島半島の地域及び旧灘崎町域を除く。)、加賀郡(旧加茂川町域) 第2区 岡山市北区(中原、祇園、後楽園、牟佐)・中区・東区(旧瀬戸町域を除く。)・南区(児島半島の地域及び旧灘崎町域)玉野市、瀬戸内市 第3区 津山市、備前市、赤磐市、真庭市(旧北房町域を除く)、美作市岡山市東区(旧瀬戸町域)、和気郡、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡、久米郡 第4区 倉敷市(旧船穂町・真備町域を除く)、都窪郡 第5区 笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、真庭市(旧北房町域)、倉敷市(旧船穂町・真備町域)、浅口市、浅口郡、小田郡、加賀郡(旧賀陽町域) 広島県 選挙区 区域 第1区 広島市中区・東区・南区 第2区 広島市西区・佐伯区、大竹市、廿日市市、江田島市(旧能美町・沖美町・大柿町域) 第3区 広島市安佐南区・安佐北区、安芸高田市、山県郡 第4区 広島市安芸区、東広島市(旧安芸津町域を除く)、三原市(旧大和町域)、安芸郡 第5区 呉市、竹原市、三原市(旧本郷町域)東広島市(旧安芸津町域)、尾道市(旧瀬戸田町域)、江田島市(旧江田島町域)、豊田郡 第6区 三原市(旧本郷町・大和町域除く)、尾道市(5区に属さない区域)府中市、三次市、庄原市、世羅郡、神石郡 第7区 福山市 山口県 選挙区 区域 第1区 山口市、周南市(旧徳山市・新南陽市・鹿野町域)、防府市 第2区 下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市(旧熊毛町域)、大島郡、玖珂郡、熊毛郡 第3区 宇部市、萩市、山陽小野田市、美祢市、阿武郡 第4区 下関市、長門市 四国 徳島県 選挙区 区域 第1区 徳島市、名東郡 第2区 鳴門市、阿波市、三好市、美馬市(旧脇町・美馬町域)、板野郡、三好郡 第3区 小松島市、阿南市、吉野川市、美馬市(旧穴吹町・木屋平村域)勝浦郡、名西郡、那賀郡、海部郡、美馬郡 香川県 選挙区 区域 第1区 高松市(旧国分寺町・香川町・香南町・塩江町・牟礼町・庵治町域を除く)、小豆郡、香川郡 第2区 坂出市、高松市(旧国分寺町・香川町・香南町・塩江町・牟礼町・庵治町域)、丸亀市(旧綾歌町・飯山町域)、さぬき市、東かがわ市、木田郡、綾歌郡 第3区 丸亀市(旧綾歌町・飯山町域を除く)、三豊市、観音寺市、善通寺市、仲多度郡 愛媛県 選挙区 区域 第1区 松山市(旧北条市・中島町域を除く) 第2区 今治市、伊予市、東温市、松山市(旧北条市・中島町域)、越智郡、上浮穴郡、伊予郡、喜多郡内子町(旧小田町域) 第3区 新居浜市、西条市、四国中央市 第4区 宇和島市、八幡浜市、大洲市、西予市、喜多郡(内子町の旧小田町域を除く)、西宇和郡、北宇和郡、南宇和郡 高知県 選挙区 区域 第1区 高知市の一部 第2区 高知市(第1区に属しない区域)、室戸市、安芸市、南国市香南市、香美市、安芸郡、長岡郡、土佐郡、吾川郡いの町(旧本川村域) 第3区 土佐市、須崎市、四万十市、宿毛市、土佐清水市、吾川郡いの町(旧本川村域を除く)・仁淀川町、高岡郡、幡多郡 九州 福岡県 選挙区 区域 第1区 福岡市東区・博多区 第2区 福岡市中央区・南区・城南区 第3区 福岡市早良区・西区、前原市、糸島郡 第4区 宗像市、福津市、古賀市、糟屋郡 第5区 朝倉市、筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市、筑紫郡、朝倉郡 第6区 久留米市、大川市、小郡市、うきは市、三井郡、三潴郡 第7区 大牟田市、柳川市、八女市、筑後市、みやま市、八女郡 第8区 直方市、飯塚市、嘉麻市、中間市、宮若市、遠賀郡、鞍手郡、嘉穂郡 第9区 北九州市若松区・八幡東区・八幡西区・戸畑区 第10区 北九州市門司区・小倉北区・小倉南区 第11区 田川市、行橋市、豊前市、田川郡、京都郡、築上郡 佐賀県 選挙区 区域 第1区 佐賀市(旧佐賀市域)、鳥栖市、神埼市(旧千代田町域)、三養基郡 第2区 鹿島市、小城市、嬉野市、佐賀市(1区に属さない地域)武雄市(旧北方町域)、神埼市(旧千代田町域を除く)、神埼郡、杵島郡、藤津郡 第3区 唐津市、多久市、伊万里市、武雄市(2区に属さない地域)、東松浦郡、西松浦郡 長崎県 選挙区 区域 第1区 長崎市(旧琴海町・外海町域を除く) 第2区 長崎市(旧琴海町・外海町域)、島原市、諫早市、西海市、雲仙市、南島原市、西彼杵郡 第3区 大村市、壱岐市、対馬市、五島市、東彼杵郡、南松浦郡 第4区 佐世保市、平戸市、松浦市、北松浦郡 熊本県 選挙区 区域 第1区 熊本市の一部 第2区 熊本市(第1・4区に属しない区域)、荒尾市、玉名市、玉名郡 第3区 山鹿市、菊池市、阿蘇市、合志市鹿本郡、菊池郡、阿蘇郡、上益城郡山都町(旧蘇陽町域) 第4区 熊本市(旧富合町域)、天草市、宇土市、上天草市、宇城市下益城郡、上益城郡(山都町の旧蘇陽町域除く)、天草郡 第5区 八代市、人吉市、水俣市、八代郡、芦北郡、球磨郡 大分県 選挙区 区域 第1区 大分市(旧佐賀関町・野津原町域を除く) 第2区 大分市(旧佐賀関町・野津原町域)、日田市、佐伯市、臼杵市津久見市、竹田市、豊後大野市、由布市、玖珠郡 第3区 別府市、中津市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、国東市、東国東郡、速見郡 宮崎県 選挙区 区域 第1区 宮崎市、宮崎郡、東諸県郡 第2区 延岡市、日向市、西都市、児湯郡、東臼杵郡、西臼杵郡 第3区 都城市、日南市、小林市、串間市、えびの市、北諸県郡、西諸県郡 鹿児島県 選挙区 区域 第1区 鹿児島市(本庁管内・伊敷支所管内・東桜島支所管内・吉野支所管内・桜島支所管内・吉田支所管内)鹿児島郡 第2区 鹿児島市(谷山支所管内・喜入支所管内)、奄美市、指宿市南九州市(旧頴娃町域)、大島郡 第3区 薩摩川内市、枕崎市、いちき串木野市、南さつま市、日置市鹿児島市(松元支所管内・郡山支所管内)、南九州市(旧知覧町・川辺町域)、薩摩郡 第4区 阿久根市、出水市、霧島市、伊佐市、出水郡、姶良郡 第5区 鹿屋市、西之表市、垂水市、曽於市、志布志市曽於郡、肝属郡、熊毛郡 沖縄県 選挙区 区域 第1区 那覇市、島尻郡渡嘉敷村・座間味村・粟国村・渡名喜村・南大東村・北大東村・久米島町 第2区 宜野湾市、浦添市、中頭郡 第3区 名護市、沖縄市、うるま市、国頭郡、島尻郡伊平屋村・伊是名村 第4区 宮古島市、石垣市、糸満市、豊見城市、南城市島尻郡与那原町・南風原町・八重瀬町、宮古郡、八重山郡
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ドルフィン長野駅前店 住所 長野県長野市南長野南石堂町1367−5 最寄り駅 長野 営業時間 10:00~21:00 最終確認日 2021/03/29 設置機種 なし その他(メンテ等) ガンシューなし
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八戸商大一(青森) 対 登米育英(宮城) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 八商大一 0 0 0 3 1 0 1 0 0 5 登米育英 4 0 0 0 1 0 4 0 × 9 【本塁打】 八商大一: 登米育英:佐藤/34号 酒井南(山形) 対 山田(岡山) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 酒井南高 0 0 0 0 0 1 1 0 0 2 山田高校 1 0 1 1 0 0 3 0 × 6 【本塁打】 酒井南高: 山田高校: 所沢工業(埼玉) 対 長商学園(長野) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 所沢工業 0 0 0 0 0 1 3 0 0 4 長商学園 0 0 1 0 2 0 0 0 0 3 【本塁打】 所沢工業: 長商学園: 西海大浦安(千葉) 対 高松水産(香川) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 高松水産 0 0 0 0 0 0 0 0 4 4 西海浦安 0 0 3 2 1 1 2 1 × 10 【本塁打】 高松水産: 西海浦安:川崎/32号、石島/33号 由布商業(大分) 対 柳田学園(山口) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 由布商業 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 柳田学園 0 0 0 0 0 0 1 1 × 2 【本塁打】 由布商業: 柳田学園: 承徳(広島) 対 慶立学園(東東京) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 承徳高校 3 1 1 0 1 0 0 0 0 6 慶立学園 0 0 0 0 1 2 0 0 × 3 【本塁打】 承徳高校;村中/31号 慶立学園: 海鳴(三重) 対 明光学院(福島) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 海鳴高校 1 1 0 0 0 0 0 0 0 2 明光学院 0 0 3 0 0 1 1 0 × 5 【本塁打】 海鳴高校: 明光学院: 浜野高校(島根) 対 都城学園(宮崎) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 浜野高校 3 0 1 0 1 1 0 0 0 6 都城学園 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 【本塁打】 浜野高校:西浜/30号 都城学園: 常商学院(茨城) 対 横浜翔星(神奈川) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 常商学院 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 横浜翔星 0 0 0 0 0 0 0 0 4 4 【本塁打】 常商学院: 横浜翔星:園田/29号 城南(鹿児島) 対 封学館(石川) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 城南高校 0 0 2 1 0 1 0 1 0 5 封学館高 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 【本塁打】 城南高校: 封学館高: 函館実業(南北海道) 対 知弁九度山(和歌山) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 函館実業 0 0 3 1 1 1 0 1 1 8 知九度山 1 0 2 1 0 1 8 0 × 13 【本塁打】 函館実業:稲葉/25号 知九度山:西川/24号・26号、石倉27号、細田28号 日帝大三(西東京) 対 福井商大福井(福井) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 日帝大三 0 0 2 0 1 0 0 0 1 4 福商福井 0 0 1 1 0 0 0 0 × 2 【本塁打】 日帝大三: 福商福井: 佐賀北商業(佐賀) 対 豊翔学園(愛知) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 佐賀北商 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 愛翔学園 0 0 2 2 1 0 0 3 × 8 【本塁打】 佐賀北商: 愛翔学園:川上/22号、森野/23号 北九州短大付(福岡) 対 浦添水産(沖縄) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 浦添水産 0 0 1 0 1 1 0 0 0 3 北九州短 2 0 0 1 0 1 1 0 × 5 【本塁打】 浦添水産: 北九州短:新庄/21号 甲府航空(山梨) 対 星峰(長崎) 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 甲府航空 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 星峰高校 2 1 0 0 0 1 0 1 × 5 【本塁打】 甲府航空:真下/18号 星峰高校:大崎/19号、黒田/20号 龍星大平安(京都) 対 香南商業() 学校名 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 香南商業 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 龍星平安 1 1 1 0 1 2 0 0 × 6 【本塁打】 香南商業: 龍星平安:
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〒132-0024 東京都江戸川区一之江7-35-22 一富ビル1F (コミュニティプラザ1F) ☆TEL:03-5879-1280 ☆営業時間:9 00-24 00 ☆最寄駅:都営新宿線・一之江(徒歩3分) ☆行き方:A1口を出て環七どおりに出たら左折し、駅をこえると左にサイゼリアやモスバーガーのある「コミュニティプラザ」有り。店舗はその1テナント。徒歩3分程度 ※一之江駅には、他にもヤマイチがあります。「駅前店」であることを確認してから入店してください! Upd2011/8/7(日)
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マルエツ大久保駅前 〒275-0011 千葉県習志野市大久保1-11-2 047-476-3151 ☆最寄駅:京成本線・京成大久保 ☆行き方 改札を出て右へ。 最初の交差点を「三井住友銀行」側へ渡り、車道沿いに左へ進むと右手に店舗があります。 ※徒歩3・4分程。 ★従業員口:店舗を正面にして建物の右側面を壁沿いに進むと裏手の搬入口内にあります。
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よっしーとはゲーム配信者KUNの行う参加型企画に参加するKUNキッズの一人であり最著名のキッズである。 ID k_908i 性別 男(♂) 年齢 不明 あだ名 よっしー、緑色、ヨッシー、K_908I、神 属性 旧メンバー、トロール勢、天然、伝説 知名度 著名 所属 旧メンバー→たいやき帝国 参加企画 上海クラフト→旧50人クラフト→建国クラフト→KUNクラフト→新50人クラフト第1期→新50人クラフト第2期→神クラフト→日本列島クラフト スキンモデル ヨッシー 特徴 旧50人クラフト以前の上海クラフト(2015年5月辺り)から参加している現在も参加しているキッズの中で最古参のキッズ。かつての旧50人クラフトでは視聴者から絶大な人気を誇り、一時期はサムネを独占したり、レッドヨッシーなど大量の亜種(パクリ)スキンが登場していた。現在はあまり参加していないが、その事が返って彼の伝説たる所以の一つとなっている。 チャット、荒らしをほとんどしないが行動が絶妙で、KUNの視界に入ると必ず一つシュールな面白いことをする。しかし自分からKUNを呼ぶようなことはしない。旧50人クラフト♯4でKUNに取り上げられてから目立ち始めた。参加勢がKUNの奴隷のような扱いだった旧50人クラフトで彼の行動は注目を集め、その為中盤からはほぼ彼の独壇場と化していた。 建国クラフト、新50人クラフトでも回数こそ少ないものの参加していた。♯81では旧50人クラフトのヨッシー像が再現されたものが建てられた。参加頻度が少ないにも関わらず人気投票では2位と1位とやはり絶大な人気を誇っている。登場回数が少ないことから、現在は生きる伝説として信仰されている。 新50人クラフト第2期では1期よりも多く登場し、保健室の上には常に彼の頭部の像が建てられていた。定期企画には2期以降参加していないものの、単発企画で時たま彼の姿を確認することができる。 また新50人クラフトには似たキャラとしてたいやきが登場している。 関連リンク https //mobile.twitter.com/k_908i?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor https //m.youtube.com/channel/UCdTq6Nnbct_RB7AyKGI3H6Q
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ラーメン二郎 ひばりヶ丘駅前店 お知らせ:wikiのメニュー構成を変更しました 店舗に投票できるようにしました 1人一票です 各店舗にコメント欄を設けました 住所 西東京市 谷戸町 3-27-24 休み 日・祝(不定休) 営業時間 月火木金 11:30~14:30 17:30~20:30 水 11:30~14:30 土 10:30~16:00 ※画像はまだ投稿されておりません メニュー ラーメン 650円、ラーメン豚入り 750円、ラーメンダブル豚入り 850円 大ラーメン 750円、大ラーメン豚入り 850円、大ラーメンダブル豚入り 950円 トッピング ニンニク、ヤサイ、アブラ、カラメ テーブル小物 白コショウ、トウガラシ ※画像はまだ投稿されておりません 麺 細くなる時と太くなる時がある ぶた パンチの利いたぶた。 スープ ヤサイ モヤシ6 キャベツ4 ゆで方はクタ気味 ニンニク 中位に刻まれた生ニンニク ブレ 臨時休業情報 (記入例:コメント「著者急病の為 byメルマガ」 該当日「2999年13月41日」) コメント 該当日 2999年13月41日 -- 著者急病の為 byメルマガ (2011-01-01 12 34 56) コメント欄 名前 グル多め - 名無しさん 2012-12-23 06 53 23 %E4%BA%8C%E9%83%8E%E3%80%80%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%83%B6%E4%B8%98%E9%A7%85%E5%89%8D%E5%BA%97 に関するツイート!function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http /.test(d.location)? http https ;if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+ //platform.twitter.com/widgets.js ;fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, script , twitter-wjs );
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「さようなら!」 「さようなら、九野先生」 「うん、さようなら」 初夏と梅雨の訪れが迫った5月下旬頃、ここ常盤台中学の近隣にある女子中学校では部活動に入部していない生徒達が次々に下校していた。 その光景の中の一幕、校門付近に居る教師に対する女子生徒の挨拶が複数聞こえて来る。それは、この中学に勤務する教師、“天才”と謳われる男九野獅郎に対するモノであった。 「九野先生!」 「うん?おぉ、苧環じゃないか。それと・・・」 「つ、月ノ宮向日葵と言います!よろしくお願いします!!」 「・・・そうか。苧環。彼女はお前の派閥の一員か?」 「はい」 そこへ、茶髪の少女2人が九野に声を掛けて来た。常盤台中学3年生の苧環華憐と2年生の月ノ宮向日葵である。 「月ノ宮ちゃん。そんなに緊張しなくてもいいよ。リラックス、リラックス」 「は、はい!」 緊張のせいかガチガチに固まっている月ノ宮の雰囲気を察した九野が、砕けた雰囲気を周囲に漂わせる。 しかし、中々月ノ宮の緊張が取れない。その理由に心当たりがある九野は、苧環に確認を取る。 「苧環。お前、月ノ宮ちゃんに俺のことを何て言ってるんだ?」 「そ、それは・・・え~と・・・・・・」 「苧環様は、九野先生のことを『とても厳しい先生』と仰っておられました!」 「・・・苧環?」 「じ、事実ですよね?私に喝を入れて下さった時も、かなり手厳しかったですし」 月ノ宮のぶっちゃけにゴーグル越しに厳しい視線を送る九野に、慌てた苧環が言い訳にも聞こえる弁解を始める。 「そういえば、そんなこともあったな。・・・あの頃のお前はドン底だったし、周囲からも冷たい視線を送られていたっけ?」 「はい。九野先生の檄が無ければ、今の私は居ません。それだけの価値が、九野先生の言葉にはありました」 「ほら!『優しい先生』だろ?」 「・・・・・・・・・それだけでしょうか?」 かつて苧環は常盤台における『電撃使い』の最高峰を決めると謳って、現在学園都市第三位のレベル5御坂美琴と直接対決を敢行し、結果あえなく惨敗を喫した。 自身の実力に自信を無くし、惨めな敗北者として周りから陰口を叩かれた。一時は不登校にも陥りかけた彼女を救ったのは、“天才”と呼ばれる教師・・・九野獅郎だった。 常盤台の教師では無かった彼が、不登校の真似事として学校を無断欠席して第7学区をうろついていた苧環に声を掛けて来た。 苧環は彼と話したことは無かった。それは当然の事。常盤台学生寮の近くにある学校に通っている“天才”と呼ばれるサイボーグ風教師…程度の知識しかなかった。 但し、“天才”と謳われるだけの実績がある事くらいは知っていた。そんな彼は自分の事を知っていた。どうやら常盤台生間で噂になっていた2人の対決を耳にしたらしい。 しかも、苧環が周囲から陰口を叩かれている事も含めて。少女は内心ビクビクしながら彼の言葉を待った。御坂美琴への挑戦を無謀と断じるのか、それとも・・・。 ネガティブな思考ばかりが頭に浮かぶ苧環に、九野は口を開いた。そこから出て来たのは、苧環が予想していたモノとは全く違っていた。 『御坂は、元はレベル1で努力を重ねてレベル5になった。苧環、お前はこんな所で立ち止まったままか?失意の底無し沼に沈んで行くだけか? お前の目は何のためにある?お前の耳は、鼻は、口は、頭は、手は、足は、体は、能力は!?お前がお前自身の力で、自分だけの道を切り開いて行くためにあるんじゃないのか!?』 決して優しくは無かった。甘くも無かった。唯厳しい現実を叩き付けた。苦労を知らなかったお嬢様に苦労(げんじつ)の意味を教えた。 苦労をしていなかった自分自身の“新たな”可能性に目を向けないのか?苧環華憐はずっと立ち止まったままか?それでお前が納得できるのか? 苧環は、九野の厳しさの中に優しさを感じ取った。それ以降、苧環は九野の言葉を励みに日々精進を積み重ねている。1人の『電撃使い』として御坂美琴を越えるために。 苦労もする。限界も感じる。迷いもする。逃げる時もあるかもしれない。立ち止まる時もあるかもしれない。でも進む意志だけは持とう。そう自分自身に誓った。 「お、苧環様だけじゃありません!九野先生の評判は『優しいけどとても厳しいダンディー教師』というのが常盤台生の共通見解です!」 「ガクッ!的を射ているとは言え、少し複雑な気分になるね」 月ノ宮のフォローが九野に心に突き刺さる。彼の指導で人間的に成長した者は学生・教師問わず多く居るが、反面ズバズバ言ったりもするので泣いてしまう者も多く居る。 彼の場合はフォローもキッチリ行うので後腐れは全く無いのだが、結果的に少々微妙な評判になってしまっているようだ。 特に、常盤台と学生寮との行き交いや学生寮での暮らしにおいてサイボーグのような風貌をしている彼をよく見掛ける常盤台生には(余計に)微妙に見られているようだ。 「ところで、苧環。俺に何か用でもあったのか?」 「いえ。九野先生の姿を見掛けたので、下校の挨拶をと思い。後は、月ノ宮の紹介もかねて」 「・・・・・・俺はまだ月ノ宮ちゃんの授業を受け持ったことは無いが、その時が来ても彼女に対する課題レベルを下げるつもりは無いぞ?」 「「うっ!?」」 「やっぱりそれが狙いか。そろそろ勘弁してくれよ、苧環」 苧環と月ノ宮の焦り顔を見て、九野は生徒の浅知恵に溜息を吐く。九野は個別的に御坂の授業を受け持っているだけあって、実力は本物だ。 彼が所属校とは別に通っている研究所が電気系統能力に精通している事もあって、苧環は彼に喝を入れられて以降は週に1~2回の割合で研究所へ足繁く通って教えを受けている。 だが、出される課題は常盤台のお嬢様クラスでも難しい。そんな彼の課題レベルを下げようと、苧環は事あるごとにゴマ摺り染みた真似をしたりしなかったりする。 しかし、“天才”は妥協しない。妥協してはいけない一線では、絶対に妥協しない。それが生徒のためでもあると理解しているから。 教師足る自分が構成する授業内容次第で、教え子達の成長度合いも変化する。そのためにも、手抜きは絶対に許されない。それが教師の務めであり、また負う責任でもある。 「俺としては、きっちり理解できるように授業を構成しているつもりなんだけどね。課題は、あくまで授業で教えたことの応用だぞ?そこから先はお前達の努力が必要だ。 そのための資料なら常盤台に揃っているだろう。駄々を捏ねているだけなら、俺はそんな態度を決して認めない。授業中にそんなことをほざくなら、さっさと退室して貰う。 俺の悪手以外で授業環境の弊害になるようならね。苧環。月ノ宮ちゃん。俺の言っていることは間違っているかい?」 「・・・いえ」 「・・・間違っていません」 九野の言葉は丁寧だ。徒に相手の反感を買うような口調には決してならない。しかし、それ故に“厳しい”。言葉以上の厳しさが九野の言葉には宿っている。 「調べてもわからないことがあれば、俺の所に質問に来たらいい。答えを教えるつもりは無いけど、答えに辿り着くヒントなら教えることができる。 そこから先はその生徒次第だ。俺は授業に、お前達のような生徒に全力で当たっている。お前達の成長を願って。 だからさ・・・その努力を否定するような真似を俺にさせるなよ、2人共」 「「・・・すみませんでした」」 九野の悲しそうな顔と声色を受け取った苧環と月ノ宮は、己の行為を恥じる。彼女達とて、九野に自分達の要望が通じるとは最初から思っていない。 気持ち的には、『それとなしにお伺いを立ててみようかな』レベルだった。しかし、それが九野の授業への拘り―生徒の成長を願っての―を否定することに繋がりかねないと認識した今、 軽はずみな行動をしてしまったことを悔い、彼に謝罪する。 「・・・フッ。頭を上げなよ、2人共。俺としても、生徒の反応を直に耳にすることができるのはむしろ望む所なんだよ。俺って、何と言うか近寄り難い風貌だからね」 「あっ・・・」 月ノ宮が思わず声を漏らしてしまった彼の風貌―近寄り難い―とは、主に首より上の部分を指す。 視力と聴力を維持するゴーグル型端末に黒白両方が混ざったオールバックの姿が、まるでサイボーグのように見えるのだ。 物言わぬ壮大な威圧感を体から滲ませる九野は、常盤台生はおろか、通っている女子中学生においても関わりが薄い生徒からは少し敬遠されたりしている。 逆に、関わりが深い生徒からは常盤台生含めすごくモテたりしている。月ノ宮が『ダンディー教師』と形容したのはそれが理由である。 「生徒の率直な意見は、教師にとって何物にも替え難い財産だ。駄々を聞くつもりは無いけど、それ以外の意見ならドシドシ言ってくれたまえ! あの常盤台に入って来る女の子達は、いずれも前途有望な若者だと俺は思っている。そんなお前達の真摯な意見を、俺は無視したりしない」 「「九野先生・・・!!」」 これがフォロー。初対面であっても言いたいことをズバズバ言う代わりに、後でちゃんとフォローにも務める。 頭脳的に“天才”と謳われる彼が人間的にも高評価を与えられているのは、この辺りの要領の良さが要因である。 もちろん、ズバズバ言うのも当人を思ってのことである。飴と鞭という表現は適切では無いのかもしれないが、これが総合的に物事を量れる彼の真骨頂である。 「九野先生が通っている女子中学でモテる理由もわかる気がしますね。どうです?いっそのこと、常盤台に転勤してハーレム生活を築いてみるというのは?」 「常盤台でハーレム生活だって?やめてくれよ。俺は嫉妬する妻に何回殺されればいいんだい?冗談でも止めてくれよ、苧環。そもそも男子禁制だろ、『学舎の園』は」 「フフッ。これは失礼しました」 苧環のジョークに苦笑いする九野。彼は既婚者である。子供も2人いる。家では妻に尻を敷かれているが、その愛は衰えることは無い。妻にも子供にも愛情をたっぷり注いでいる。 「おっと!もうこんな時間だ!済まないけど、俺はこれにて失礼するよ」 「あれ?職員室に戻らないんですか?」 「あぁ。ちょっとヤボ用でね。バカ弟子と待ち合わせをしているんだ」 「バカ弟子?・・・先生が通っている中学の生徒ですか?それとも常盤台生・・・もしくは警備員とか?」 九野の言うヤボ用に、少し興味を惹かれる苧環と月ノ宮。彼から『弟子』という言葉を聞いたのはこれが初めてである。 「いや。他の学校に通っている風紀委員さ。あいつも、お前達のように素直だったらなぁ・・・。少しは可愛げも出て来るのに」 対する九野は、苦笑いをしながら教え子達の質問に答える。自分が教えた中であのバカ弟子程面倒な弟子は居ない。 「ということで失礼するよ。また明日」 “天才”は教え子達に別れを告げ、別の教え子の下へ赴く。ここ数ヶ月の間に『悪評』が立ったバカ弟子・・・“風紀委員の『悪鬼』”固地債鬼の下へ。 「何故お前まで付いて来る?」 「いいじゃん!非番同士なんだし!というか、債鬼君が非番なんてすっごく珍しいね!どうしたの?」 そんな九野の弟子である178支部風紀委員固地債鬼は、偶然出会った176支部リーダー加賀美雅と共に第7学区のとある空き地に居た。 どうやら加賀美も今日は非番だったらしく、ブラブラしていた所に偶然固地を見掛けたという体である。 「待ち合わせをしているだけだ。お前には関係無い」 「酷いよ、債鬼君!同期なんだし、少しは優しくしてくれたってバチは当たらないでしょ?」 この2人は中学1年の同じ時期に風紀委員となった者同士である。最初の1年間は同じ支部で働き、そこから固地は178支部へ、加賀美は176支部へ転属した。 「何で、俺がお前に優しくしないといけないんだ?」 「むぅ~!そんなんだから、債鬼君には友達が私やしゅかん以外に居ないんだよ?」 「大きなお世話だ!」 男女の言い争いが少しずつ熱を帯びてくる。固地はその性格の悪さから、よく敵を作ってしまう。そのせいで友達が殆ど居ない。 友達と呼べるのは加賀美と彼女の親友である焔火朱花という少女くらいである。朱花は固地のことを『サイちゃん』と呼んでおり、それが固地にとっては多少以上に気に入らない。 しかし、朱花は持ち前のオカン根性から固地の天邪鬼な性格を押さえ込んだりできる稀有な人間であったりする。簡潔に言えば、『懐の深い女性』である。 「そういえば、今度176支部(ウチ)にしゅかんの妹が配属されるんだよ。知ってた?」 「いや。今知った。・・・そうか。朱花の妹・・・緋花だったか。どんなヤツだ?確か、『世話が焼ける』と朱花が愚痴を零していたが」 「あれは愚痴じゃ無くてツンデレ的発言だと思うな。そうねぇ・・・私も小川原で何回か目にしただけなんだけど、元気一杯の明るい女の子だったよ」 「・・・そうか」 友達話から、176支部へ入って来る朱花の妹―焔火緋花―の話に発展する。時々固地・加賀美・朱花が揃った時に、よく朱花が妹のことを話題にするのだ。 『世話が焼ける』、『私の方が姉だっつーの!』、『今日は愚妹(アホ)の好きなクリームシチューを作ってやらないと。あぁ、忙しい忙しい』等々愚痴にも聞こえる言葉だが、 加賀美から見ればそれは妹への愛情の裏返しであると感じていた。やはり、姉として妹は可愛いのだろう。 「まぁ、俺の所に来なくて良かったことは確かかもしれんな。あの朱花の妹だ。そいつを俺が指導した日には、朱花に何を言われるか知れたモンじゃ無い」 「別に、朱花はそこまで口出ししないと思うけど。まぁ、債鬼君の嫌味はヤバイからね~。緋花って娘も最初に債鬼君はキツイだろうね。同期の私が保証してあげる」 「・・・その嫌味にずっと食い下がったお前も大概だがな」 「・・・フフッ」 固地の何処か呆れた声を耳にし、加賀美は少し笑ってしまう。彼の発言は、正論だがキツイ。具体的に言えば、総じて口調が荒い。他人の神経を逆撫でにする。 そのせいで、彼の人間的な評判は風紀委員の中でもすこぶる悪い。これで、検挙率トップクラスを維持していなければ益々彼は孤立していただろう。 「ねぇ、債鬼君?」 「何だ?」 「・・・最近どうしたの?何だか、色んな所から債鬼君の悪い評判が聞こえてくるようになったんだけど」 良い機会だ。そう思い、加賀美は固地に問い掛ける。ここ数ヶ月の間に、固地の『悪評』は急激に伸びた。今年の2月下旬頃178支部で起きた『下剋上』を境に。 「俺の『悪評』は今に始まったことじゃ無いが?」 「誤魔化さないでよ。債鬼君。最近どうしたの?私が176支部のリーダーに就任した時に言ってくれたよね? 『待っていろ!!俺も自分の実力に更なる磨きをかけた暁には、お前と同じ位置に立ってみせる!!』ってさ。その答えが『これ』なの?」 「・・・・・・」 「どうして・・・178支部リーダーの浮草先輩の立場を危うくするようなことをするの?どうして、浮草先輩を“お飾りリーダー”なんて言うの?」 それは、178支部で起きた電撃的とも呼べる『下剋上』。178支部リーダーである浮草宙雄を差し置いて、固地債鬼が新たなリーダー格として伸し上がった。 他支部である加賀美には両者の間にどんなやり取りがあったのかまではわからない。わかっていることは、浮草が固地にリーダーを譲ってはいないこと。 固地が勝手にリーダー格として振舞うようになったこと。その影響もあって、固地の『悪評』が一定レベルを超えてしまったこと。 「・・・他支部のお前には関係無い」 「関係あるよ!同じ風紀委員だよ!?同期だよ!?債鬼君が理由も無しに浮草先輩を押し退けるなんてことするわけ無い!何かあった筈だよ? 何か契機になるような・・・・・・あっ!そういえば、去年の12月に債鬼君が同僚と大喧嘩して・・・その同僚が風紀委員を辞め・・・」 「・・・お前にそんな余裕があるのか?『リーダー』であるお前に」 「ッッ!!」 友の追及に固地は禁句にも似た指摘を口に出す。彼女の心の奥底に封じられている悔恨を呼び起こす。 「今度朱花の妹が入って来るんだろう?その受け入れ態勢は、もうできているのか?」 「そ、それとこれとは・・・」 「お前・・・自分で言っていただろうが。『風子のような事態を二度と起こさない』と」 「うっ・・・!!」 固地が指摘するのは、元176支部風紀委員である風路鏡子の失踪事件。彼女は去年の11月上旬に違法薬物に手を染めた挙句暴走し、一般人への凶行に及ぼうとした。 その場に居た固地の手によって鏡子は取り押さえられた後に免職されたが、同月下旬に謎の失踪を遂げた鏡子は今も行方不明のまま。 警備員による捜査が打ち切られた後も、加賀美は独自で元部下の行方を探した。しかし、見付からない。幾ら探しても、その手掛かりさえ掴めない。 今となっては、彼女が何らかの事件に巻き込まれ死亡した・・・と思っている。そう、加賀美雅は風路鏡子の生存を諦めた。諦めてしまった。 「同じ過ちを繰り返したくは無いだろう。唯でさえ、当時は10月初めに176支部を辞めた風紀委員と合わせて、リーダーとして批判されていただろう? 今の176支部は、俺達の間でも知られている問題児集団を抱えているだろうが。もっと、そっちに目を向けるべきじゃないのか?俺なんかに構ってる余裕は無い筈だ」 「だからこそだよ!『悪評』は後々までその人に付き纏う。今のままじゃあ、債鬼君の立場が悪くなる一方だよ」 「別に俺は気にしていない」 「もぅ・・・!!この意地っ張り!!」 加賀美は固地の頑強な意地にお手上げ状態になる。最初に会ってからちっとも変わらない。この悪態さえ無ければ、周囲との繋がりも円滑になるのに。 固地だってわかっている筈なのに、彼はその手段を取ろうとしない。理由も教えてくれない。固地は加賀美に全く優しく無いのだ。 そんなすったもんだの言い合いを止めたのは・・・ 「おやっ?どうしてここに178支部の悪名高き“『悪鬼』”がいるのかしら?」 風紀委員の腕章を付けた女性3名。1人は繚乱家政学校らしきメイド服を着用しており、他2名は余り見掛けない制服を着用している。 「都城先輩が居るってことは・・・181支部の方々ですか?」 「そうよ。・・・久し振りね、加賀美?」 その中の1人に加賀美が声を掛け、掛けられた少女も落ち着いた声色で返事をする。左目が隠れる程の黒色長髪の女性の名前は都城上手。 高校3年生である彼女は現在塔川学校に拠点を構える181支部のリーダーを務めており、同じくリーダーである加賀美は彼女と面識があった。 「そういえば、ここは181支部の管轄だったか?」 「その通りよ。それなのに、178支部のあなたが何故ここに居るのかしら?」 「夜越様。この方が・・・」 「飛嶋さんの想像通りです。この男が、178支部に君臨する独裁者・・・“風紀委員の『悪鬼』”と呼ばれる固地債鬼ですね」 都城と同じ制服を着用し、また固地と同じくらいの身長を誇る黒髪少女の名は夜越希望。彼女は基本的に誰が相手でも敬語口調なのだが、固地に対しては少々以上に崩れている。 そんな彼女に確認を取っている膝丈のメイド服を着用する茶髪の少女は飛嶋満陽。彼女達も181支部に所属する風紀委員である。 この内、都城と夜越はスポーツ工学系である塔川学校に通う生徒である。スポーツ推薦枠出身者が多数を占める塔川の生徒数は他の学校に比べて少ないために、 数多の学校が乱立するこの学園都市でも目立たない部類に入っている。生徒個人を知らない者が彼女達の制服を見ただけでは、すぐに塔川生とは気付かないだろう。 「今日の俺は非番だ。別に178支部の風紀委員としてこの辺りをうろついているわけじゃ無い」 「そうですか。それは私達にとって不幸中の幸いですね。“風紀委員もどき”がいきがる姿を目に映したくはありませんから」 「(都城先輩!あの娘、何でいきなり債鬼君に突っ掛かってるんですか!?)」 「(・・・・・・端的に言えば、希望は固地のことが嫌いなの。初対面の筈なのにあそこまで口調が荒くなっている所から見て、唯の嫌いじゃ無いわね。つまり・・・)」 「(つまり・・・?」 「(大嫌いなのよ)」 「(ガクッ!?そ、それはわかりますけど・・・)」 天然ボケをかます都城に加賀美が項垂れている間にも、夜越と固地の言い合いはヒートアップして行く。 「ほぅ・・・。俺が“風紀委員もどき”と?」 「そうですよ。何せ、上司であるリーダーを無理矢理押し退けて好き勝手していると聞きますし。そんな人間が、どうすれば学生の模範になれるのですか? 彼等を正しく導くことが私達風紀委員に求められているのに、あなたの姿は逆に彼等を間違った方向へ導くことに繋がりかねません」 「お前と会うのは今回が初めての筈だが?」 「“火の無い所に煙は立たぬ”。あなたの『悪評』は、私達風紀委員の間では有名ですからね」 『悪評』。浮草に成り代わって178支部に君臨するようになってから、『悪評』は勢いを増していた。 また、176支部・178支部・181支部は同じ第7学区に存在していたこともあって伝わる速度も早かった。 「面白い。例えば、どんな『悪評』があるんだ?」 「そうですね。例えば、『他支部の実力者やエースと呼ばれる人物ほど、奉仕活動や住民への思いやりが疎かになる』と。その中の筆頭格が・・・あなた」 「俺が?・・・・・・まぁ、“当たらずと雖も遠からず”と言った所か」 「何が“当たらずと雖も遠からず”ですか。図星では?」 「(・・・ねぇ、加賀美?実の所どうなの?私も噂では聞くんだけど。言っておくけど、私は本当のことを知りたいだけだから。噂を鵜呑みにするのは危険だし)」 「(債鬼君は、別に奉仕活動を軽視していませんし一般市民への対処も普通にこなしています。唯・・・)」 「(唯?)」 「(『他人に優しくする』という行為がすごく苦手・・・というか皆無というか。それを無理矢理すると、オカマ口調になったりするんです)」 「(・・・オカマ?あの固地が?)」 「(当人的には『優しくて、しかもおせっかいな少年』を演じているそうなんですが、傍から見たらどう見てもオカマとしか判断できないんです)」 『偽装演者』と呼ばれる固地の捕縛術の1つは、他にも使われる場合が多い。その代表例が『優しくて、しかもおせっかいな少年』―加賀美や同僚の真面達から見れば唯のオカマ―である。 加賀美自身、初めてその演技を見た時は寒気しか湧かなかった。気色悪いにも程がある。一応固地のプライドを損ねない範囲で指摘をしてみたのだが、良く理解できていないようだ。 「(不器用というか何というか・・・。ですから、債鬼君の態度は必然的に事務的なモノに終始しちゃうんです)」 「(成程ね。だから、冷たい印象を持たれやすい・・・ひいては『思いやりが無い』という評判に繋がるわけね。・・・奉仕活動についても同じ理由かしら?)」 「(はい。それと、176支部から178支部へ今年の3月に転属になった真面進次という男の子が奉仕活動を得意としていまして。 彼が奉仕活動等を主導して行うことで178支部のイメージ回復に繋げていることが、『悪評』を生み出している債鬼君との対比で・・・)」 「(それは固地の自業自得でしょうけど・・・フム。もしかしたら、彼が得意じゃ無い奉仕活動をその真面という男の子に任せているのかもね。・・・合点が行ったわ)」 加賀美の説明に、都城は持ち前の頭脳で回答を導き出して行く。冷静沈着な彼女は、並大抵のことではその意志を揺らがせることが無い。 噂や又聞きで他人を完全に判断せず、当人と近しい人間の意見も聞き、実際に相対することで彼女の判断に必要なピースが揃う。 181支部リーダーとして相応しい頭脳と実力を兼ね備えている少女は、同じリーダーに賞賛にも似た声を掛ける。 「(それにしても・・・よく見てるのね。固地のことを)」 「(えっ!?そ、それは同期ですし・・・朱花って言う友達には『腐れ縁』とも言われたことがあります)」 「(そう。固地も、もっとあなたの有り難味を知ってもいいと思うんだけど・・・・・・ムッ?)」 「(都城先輩?)」 「(これは・・・面倒なことになるわね)」 都城の言葉が不意に途切れたことに加賀美は気付く。それが、彼女の予知系能力『直後予知』によって未来視した光景に理由があることも。 前髪や帽子など視界内の遮蔽物に『数秒後の未来における第三者視点の自分の周囲の映像』を映すこの能力に必要な遮蔽物とは、すなわち都城の左目を隠れる程の前髪。 「アンタのような思い込みの激しいタイプは、有事の際の対処には不向きだな。どうだ?領域(ナワバリ)の一部を譲渡するなら、今度から手助けしてやってもいいぞ?」 「領域(ナワバリ)の一部を譲渡ですか?それは困りましたね・・・・・・・・・寝言は寝てから抜かせ。“風紀委員もどき”のクソガキ」 そして、都城が予知した通りの光景が現実に現れる。終わらない言い争いに終止符を打つために固地が夜越を挑発し、その挑発に夜越が乗ったのだ。 「飛嶋さん。手出し無用でお願いしますね。あなたの手を煩わせる程ではありませんので」 「・・・夜越様。無茶はしないで下さいね」 同僚である飛嶋も両者の戦闘行為を止める気配が無い。彼女も、目の前のやり取りを受けて固地に好印象を持つ筈が無い。 「ヤバッ!早く止めない・・・(ガシッ)・・・都城先輩?」 「・・・・・・」 一触即発の空気に危機感を抱いた加賀美が間に入ろうとするが、それを都城が抑える。 「・・・ひとまず様子を見ましょう。固地が浮草を押し退けてまで振舞っている以上、“線引き”を超えない程度には抑える筈よ」 「都城先輩・・・」 「仮に“線引き”ができていないのなら、その瞬間から私は固地をリーダー格とは認めないしね。“風紀委員の『悪鬼』”のお手並み拝見といこうかしら」 都城は、敢えて訪れる未来を変えようとはしない。今は見極める時。その結果として、何らかの見極めができる筈だ。 「ハーハハハッ!!仲間の手を借りなかったことを後悔するなよ?」 「その傲慢さが何時までも通じると思うな!!この夜越希望が返り討ちにしてあげるわ!!」 そうこうしている間に、遂に固地と夜越の喧嘩が始まった。先手は夜越。持参しているペットボトルから水を脚に垂れ流した直後に己が能力『氷面滑走』を発動する。 ピキピキ!!! 彼女の脚に触れた水が瞬く間に氷と化す。脚に触れた物体を凍らせる能力『氷面滑走』にて生み出されたサッカーボール程の氷球を、固地目掛けて蹴り飛ばす。 「フン!!」 顔面に飛んでくる氷球を、身を捻ることでかわす固地。その隙に靴の裏まで凍らせた足でスケーティングのような移動術を駆使する夜越が固地に迫る。そして・・・ ブォン!! 夜越の飛び膝蹴りが固地を襲う。もちろん、膝を氷で覆いながら。スケーティングにより勢い付いた必殺に近い蹴りを見て、慌てて飛び退くことで回避する固地だが・・・ 「甘い!!」 「!!!」 それすらも予期していた夜越が、地面へ着地したと同時に脚に纏っていた氷を数十のゴルフボール程の氷球に変化させ、回し蹴りの要領で蹴り切る。 「チィッ!!」 やられっ放しである固地も、『水昇蒸降』で周囲の水蒸気を水に変換し、数十もの水球を向かって来る氷球に勢い良く衝突させ貫こうとする。 ぶつかるレベル3同士。軋み合う『氷面滑走』と『水昇蒸降』。衝突する氷球と水球。この場合、演算処理の差の他に・・・能力の特性が勝敗を左右する。 ピキピキピキ!!! 「!!?」 『氷面滑走』の特性として、一度凍り付かせた物体に触れた物も凍らせることができる。今回で言えば、『水昇蒸降』で発生させた水球が氷と化す。 『水昇蒸降』は固体である氷を操作することはできない。つまり、氷と化した水は固地の支配下から解き放たれている。 「どうした!?“風紀委員の『悪鬼』”って言っても、これくらいなの!?そんなんで、よく178支部に君臨してられるわね!?」 「くっ!!」 勢いの乗る夜越に、固地は懲りずに幾十もの水球を発生させぶつけるが、夜越の華麗な脚捌きに水球全てが凍り付く。 元々、格闘術において固地は風紀委員の中でも中の上である。対して、夜越の格闘術は風紀委員全体を見ても上位グループに位置していた。 近距離戦では、総合的に夜越の方が上回っている。それがわかっているからこそ固地は距離を保とうとするが、彼の狙いを看破している夜越は果敢に近距離戦に持ち込もうとする。 「・・・腕を上げたわね、希望」 「(そ、そういえば、都城先輩は『師範』って呼ばれるくらいの格闘術のスペシャリストだっけ!?能力無しの格闘術だけなら、ウチの稜ともガチで戦り合えるのよねぇ)」 加賀美は、今更のように隣に居る181支部リーダーの実力に震撼する。都城は女性ながら181支部の中で格闘術No.1の実力を誇っており、 176支部のエースと謳われる“剣神”神谷稜と能力無しの格闘戦で互角に渡り合う猛者なのだ。 彼女の影響や指導で、181支部に所属する風紀委員の多くは格闘術を磨きに磨いていると聞く。その1人が今固地と戦っている夜越であり、傍で見守っている飛嶋なのだ。 「でも・・・まだまだね」 「えっ?」 そんな『師範』の顔色は険しい。それは、部下が固地の“都合の良いように振り回されている”現状に対してのモノ。 「気付かない?固地は、自分が希望との戦闘では近距離での勝負が不利と見て盛んに距離を取ろうとしているわ」 「そうですね。それは私にも・・・」 「でも、本当に希望相手に『近距離戦で手も足も出ない』のなら、もっと必死になって距離を取ろうとする筈よ。それこそ水球なんて小さいモノを幾十も浮かべるより、 希望を飲み込むくらいの水を発生させてもおかしくは無い。力量的にそれが無理って線も有り得るし、固地の『水昇蒸降』の材料である水蒸気の上限もあるにはあるけど」 「・・・都城先輩の目にはどう映っているんですか?」 「端的に言わせて貰うと、固地は手加減をしているわ。近距離戦に限っては本気だろうけど、あの様子じゃあ奥の手みたいなモノを持っていそうね。 今の彼は、おそらく希望の戦闘能力を測っているんだと思う。さっきまでの言い争いも、希望の性格を知るための話術ね。良くも悪くも自分の性格を熟知しているのね、固地は。 彼女には、上辺だけで物事を量ってはいけないって指導しているんだけど・・・。噂の鵜呑みと言い、ショタコンの気と言い、希望は思い込みが激しいのが玉に瑕ね(ボソッ)」 「えっ?最後の方がよく聞き取れなかったんですけど?」 「・・・・・・ようは、一度自分がこうだと決めたことを貫き通すということ。融通が利かないっていう欠点もあるけど、それが彼女の美点でもあるから難しいのよね」 都城は、以前から自身も思っている己が部下に対する評価を改めて口に出す。 夜越は『子供は未来の希望!彼らを守り正しい道へ導いて行くのが私達の役目!』と豪語しているだけあって、一般人からの評判は上々である。都城自身も彼女の姿勢を歓迎している。 その一方で、一度自分が決めたことは頑として譲らない気質の持ち主である。言い換えれば思い込みが激しい一面があり、その代表がショタコンである。 彼女は小さな子供が大好きである。特に、小さな男の子が大好物である。盛大にハァハァしてしまう。都城も指導しているのだが、全くと言っていい程改善しない。 故に、彼女が『置き去り』の施設にボランティアへ赴く際には、181支部員が付き添うことが多い。そうしないと、過ちを犯してしまうかもしれないからだ。 「そういう意味では、夜越も固地のことを言えた義理じゃあ・・・ハッ!」 「えっ・・・うわっ!!?」 またもや都城の言葉が途切れた。と同時に都城が加賀美を抱きかかえて俊敏に移動する。 そして数秒後・・・都城と加賀美に居た場所目掛けて上空から181支部が誇る“暴走火車”が突っ込んで来た 「み~~~~な~~~~さ~~~~ん~~~~!!!こ~~~ん~~~に~~~ち~~~は~~~!!!!!」 「「「「!!!??」」」」 都城以外の人間、すなわち固地・加賀美・夜越・飛嶋の4名が上空から聞こえて来た元気ハツラツを体現したかのような挨拶を耳にする。 その声の主は、地面に墜落する数秒前に足裏から怒涛の勢いで爆炎を放射し、減速した後にビシッと着地を決める。 「遅れてすみませんでした!!!都城先輩!!夜越先輩!!今日も良いお天気ですね!!!満陽!!今日も元気!!?さぁ、今日も1日頑張りましょう!!!」 鼓膜を叩く大音量を吐き続ける赤髪の少女の名前は常盤台中学2年生の果無火煉。“暴走火車”の異名を持つ暴れん坊である。 「火煉・・・。また建物の屋上を『焦熱爆走』で伝って来たの?幾ら『焦熱爆走』でも危ないと思うんだけど・・・」 「そうだよ!!私なら問題ナッシング!!イェイ!!!」 「・・・・・・ハァ」 飛嶋が親友である果無の根拠の薄い自信(Vサイン付き)に、呆れた溜息を吐く。飛嶋は基本的に他人を呼ぶ時は『~様』なのだが、親しい間柄の人間に対しては名前を呼びすてる。 「いけませんよ、果無さん!飛嶋さんの『揚力調整』もそうですが、無闇に空中に身を投げ出してはいけません!!」 「問題ナッシング!!グッド!!!」 「サムズアップしない!!何がグッドですか!!?」 「あれが181支部の“暴走火車”か(ボソッ)」 果無の根拠の薄い自信(サムズアップ付き)に、先輩である夜越も声の音量を上げる。“暴走火車”は、根本的にバカである。種類的には熱血バカである。 バカにも色々種類はあるが、その中でも熱血バカは総じて面倒臭いことが挙げられる。その1つが・・・『人の話を碌に聞かない』。 「あれっ!!?夜越先輩は隣に居る“ハットマン”と何をしてらっしゃるんですか!!?」 「“ハットマン”・・・?」 固地は、赤髪の少女に急に名付けられた渾名と思われる“ハットマン”にイラッとする。シルクハットを被っていたからだろうが、ネーミングが安直過ぎる。 「『何を』って・・・。それは、この“風紀委員の『悪鬼』”の性根を叩き直して・・・」 「そうか!!ようは風紀委員同士の模擬戦ですね!!!私も混ぜて下さい!!!よっし!!やる気が出て来たぞおぉぉぃぃいいい!!!」 「人の話を聞きなさい!!!」 質問した側が回答側の言葉を碌に聞いていない。これもまた、181支部の日常である。 「“ハットマン”!!今度は私から行きますぜぇい!!!ちゃいやっ!!!」 「むっ!!?」 固地の禍々しい瞳が見開かれる。その視界に映っているのは、果無が足裏から爆炎を生み出して脚に纏っている姿。 これが果無の発火系能力『焦熱爆走』。足裏から爆炎を生み出すことができる能力者である。 「ちぇいやっ!ちぇいやっ!ちょちょいの~~~ちゃい!!!」 「!!!」 果無が地面に着いていた左足の裏の爆炎を爆発させ、その勢いで固地に肉薄しながらハイキックをぶちかます。 固地は咄嗟に付近に浮かべていた複数の水球を果無の蹴りにぶち当て纏う炎を消火した後に、腕でガードしていた頭を落とすことでハイキックを避ける。だが・・・ 「の~ちぇい!!!」 「グッ!!」 蹴り脚である右足の裏から爆炎を噴出させ無理矢理体勢を変更、そのまま右脚を固地の右側頭部―正確には側頭部を防御した右腕―に叩き込む。 炎を纏っていないとは言え、爆炎の噴出を利用した一撃で固地は地面へ転がり落ちる。 「(右腕が痺れて・・・。あの女・・・!!!)」 「中々やりますね、“ハットマン”」 右腕に走る痛みと痺れに固地が顔を顰め、蹴りを見舞った果無は思わぬ歯応えに気分を良くする。 彼女は常盤台に通うお嬢様でありながら幼少の頃からムエタイを嗜んでおり、『師範』である都城とも良く稽古を行っている程熱中している。 「ちょ、ちょっと待ちなさい!!果無さん!!あの“『悪鬼』”とは、私が戦っていたんですよ!?邪魔をしないで・・・」 「夜越先輩の『氷面滑走』って、私の『焦熱爆走』と並んじゃうと使いモノにならないんですよね!!!ダーハッハッハ!!!」 「ぶっちゃけないで下さい!!そもそも、果無さんが横槍を入れなければ問題無い・・・」 「それじゃあ、私と先輩のどちらが先にあの“ハットマン”に蹴りを叩き込めるか勝負です!!!行きまっしょいぃや!!!」 「だから、人の話を聞けぇ!!!」 遂に敬語口調さえ取っ払った夜越の言葉さえ碌に聞いていない熱血バカは、眼前の相手に神経を集中する。今度こそ、会心の蹴りをお見舞いしてやる。 「ほいらほいら、ほほいのほほいの~~~~~」 「くそっ!このまま果無さんにK.O.でもされたら私が戦った意味が無い!!こうなったら、先手必勝!!ハッ!!」 再び足裏に爆風の準備を行う果無に先を越されまいと、夜越が『氷面滑走』によるスケーティングで固地へ急接近する。 「(右腕が上がらん!!この状態であの2人を同時に相手取るのは荷が重い!!)」 一方、果無の一撃で右腕が上がらない状態の固地は戦況の不利を悟る。しかし、ここで逃げるわけにもいかない。“風紀委員の『悪鬼』”というイメージを保つためにも。 「(だが、俺の格闘術と『水昇蒸降』による妨害で両者の攻撃を“両者自身”で相殺させれば勝機はある!!)」 夜越の『氷面滑走』は果無の言う通り『焦熱爆走』によって無力化可能、『焦熱爆走』に至っては、水を操る『水昇蒸降』に分がある。 『水昇蒸降』を妨害する『氷面滑走』のいなし方次第では、両者の攻撃を無力化した後に反撃を加えることも可能だろう。 「(後は、奴等の格闘術に俺が瞬間的に何処まで張り合えるか・・・。“あの”能力はさすがに風紀委員へは使えない。後は・・・俺の力を信じるだけ!!)」 周囲に水球を幾十浮かべ待ち構える固地に夜越が近付く。その後ろでは、今まさに果無が固地目掛けて突っ込もうとしていた。そして・・・時は来た。 「ほい!!!」 「成敗!!!」 「(来た!!!)」 足裏の爆炎を爆発させた勢いで左ミドルキック(炎は纏っていない)を放とうとする果無と、氷を纏った右ミドルキックを放とうとする夜越。 タイミング的には夜越の方が僅かに早く固地へ届く。それを察した固地は、後方へ跳ぶことで果無と夜越の一撃が重なるように体を動か・・・ 「バカ弟子!!!」 「ビクッ!!!」 し切れなかった。突如固地の後方から放たれた男性の声に固地の体が途中で硬直する。その結果・・・ ドン!!ドン!! 「グハッ!!!」 「よっしゃああああぁぁぁっっ!!!」 「決まった!!」 果無と夜越の蹴りが固地の腹部を襲った。一応、固地の目論見通り2人が接近したことで夜越が纏っていた氷の硬さが軟化し、また果無も先輩の接近にキックの軌道を少々変更したことで、 固地へのダメージは幾分軽減された。が、決して軽くは無い二撃に手応えを感じた少女2人が叫び、彼女達の攻撃を喰らって吹っ飛ぶ固地を後方に居た中年の男性が受け止める。 「そこまでだ、お嬢さん方。これ以上戦闘を継続するというのなら、さすがの俺も黙っているわけにはいかないな」 その男からは、只ならぬ威圧感が漂っていた。まるでサイボーグか何かと見間違うような風貌をした男の声が、少女達の挙動を封じていた。 「あ、あなたは誰ですか!?私達は風紀委員・・・」 「俺は警備員だ。それがどうした?もし、警備員で無かったとしても一体何の問題がある?言ってみろ、風紀委員?」 「警備員・・・!!こ、これは失礼しました!!」 闖入者の登場に混乱する夜越の抗議を、警備員である“天才”は封殺する。子供(ガキ)の戯言を耳に入れる寛容は、この場では必要ない。 「く、九野先生・・・!!!」 「九野って・・・あの“天才”九野獅郎先生!!?」 「果無ちゃん。君の熱血っぷりは微笑ましいとは思うけれど、少しはブレーキを覚えたまえ。何時か大事になるよ?」 先程まであれだけ大騒ぎをしていた果無が半ば震えていた。彼女の言葉から、『実地研修』として常盤台にも派遣された経験のある飛嶋は目の前の警備員の正体に驚愕する。 何より、果無火煉は知っている。常盤台に通う風紀委員(かのじょ)は知っている。目の前の男を・・・“天才“九野獅郎の恐ろしさを。 「バカ師匠・・・・・・何で・・・」 「どうせ、『悪評』高いお前のことだ。“どちらが先に仕掛けたにせよ”、お前の非は免れない。だったら、その非の分くらい痛い目を見ろ。お前だけは俺でも実力行使が必要だからな」 「何だ・・・それ・・・は・・・」 「寝ていろ。お前が起きていたら話がややこしくなる。後は俺に任せろ」 「ちぃっ・・・」 果無と夜越から喰らったダメージで気を失いかけているバカ弟子に師匠は優しく、しかし指摘する部分は指摘する。 その容赦の無い言葉に苦笑いを浮かべながら(+舌打ちをしながら)固地は意識を手放す。 「・・・都城ちゃん。一応確認しておこうか?君の予知能力なら、俺の登場もわかっていた筈だ。何故止めなかった?」 師匠は、果無・夜越双方の上司である181支部リーダー都城に確認する。彼女の『直後予知』なら、タイミング次第で九野の登場に伴う固地の被害はわかっていた筈だ。 そして、九野が知る都城上手という少女は能力行使における最適なタイミングを見誤ることはまず無い。 「・・・希望と火煉の攻撃は、固地に重傷を負わせる程度では無かったことも“わかっていました”ので」 「それは・・・181支部リーダーとしての判断かい?」 「はい。それに、私の『直後予知』は決して万能ではありません。私が動くことで、不測の事態が発生することも有り得ました。 ならば、大きな問題にはならないと“わかっていた”予知の通りに事を運ぶことがベターだと私は判断しました」 都城は九野の質問にテキパキ答えて行く。リーダーとして、正確な状況報告を行うことは必要最低限の―しかし絶対に求められる―実力である。 「・・・成程。わかった。君の言葉を信じよう。では、何故こんなことになったのか・・・その説明もして貰えるかい?」 「・・・・・・はい」 九野は容赦しない。先程は固地に非があることを認めた。彼にも伝えた。しかし、固地だけに非があるとも思っていない。ならば、師匠として弟子のために動くことは彼の責務である。 「・・・夜越ちゃん」 「・・・はい」 「まずは謝ろう。申し訳無かった。債鬼が君の性格や戦闘能力を調査したくて、わざと君を挑発したんだね」 「わざと!?」 「あぁ。このズル賢いバカ弟子は、自分の『悪評』さえ利用しようとするからな。君達がここを通り掛った偶然を利用して、君を分析していたんだろう」 「そ、それでは領域(ナワバリ)の譲渡は・・・」 「それも挑発の一環だね。その言葉にどういう反応を示すかで、債鬼は君を量っていたんだ。全く、そんな言葉で量るくらいならもっと別のやり方で量れと言いたいモンだ」 空き地に詰まれている土管の上に九野が座り、地面に都城・加賀美・夜越・飛嶋・果無が座っている。 固地は九野の後方で寝かされていた。一応対外傷キットを用いて治療済みである。 「だが・・・君にも非はある。何故なら、君の方から債鬼に仕掛けたんだからね。噂を鵜呑みにし、『悪評』だけでその人物を理解したつもりでいた。 債鬼は決して奉仕活動を軽んじる男じゃ無いし、一般人に対して思いやりが全く無いわけじゃ無い。加賀美ちゃんや師匠の俺が保障しよう。 まぁ、債鬼の挑発分は差し引くにしても・・・君、それで風紀委員が務まるのかい?確認するにしても、相応の確認の仕方があるんじゃないかい?」 「うっ・・・」 「これは債鬼にも口酸っぱく言っていることだが、喧嘩腰で掛かれば最後には和解に繋がろうともそれまでの過程は紆余曲折を経る。 夜越ちゃん。それは、君が目指す風紀委員の在り方に通じているのかい?」 「い、いえ・・・」 「なら、何故そんな真似をする?債鬼のやり方が気に入らないんだろう?その債鬼と同じことを君がしてどうする?他人を指摘する前に、まずは自分を見直したまえ」 「・・・も、申し訳ありませんでした」 「「「「・・・!!!」」」」 九野の断罪に、夜越は少し涙声になりながら謝罪の言葉を口にする。九野の言う通り、“『悪鬼』”を撃退するにしてももっと穏便なやり方があった筈だ。 それを、幾ら腹を立てていたとは言え最初から喧嘩腰で向かって行ったのは褒められる行動では無い。むしろ、批判されて然るべきだ。 「果無ちゃんに関しては、常盤台付近で見掛けた時に時間があれば色々話すとしよう。・・・いいね?」 「(コクンコクン)」 「(火煉が・・・押されてる!!)」 蛇に睨まれた蛙のように体を縮こまらせている果無に、親友の飛嶋は驚愕の表情を露にする。 今だかつて親友のそんな姿を見たことが無かった彼女としては、果無のビクつきようは今でも信じられないのだ。 「都城ちゃん。債鬼の在り方を量るために、わざと放置した・・・だね?」 「はい」 「まぁ、それに関して俺はとやかく言うつもりは無いよ。拳と拳を交えながら相手を知るという方法は存在するし。 だから・・・君は君の為すべきことを為したまえ。教え子の失態は教えている人間に跳ね返って来るよ?債鬼が馬鹿をすれば、師匠である俺に跳ね返って来るように。 教える人間は、その責任から逃れるわけにはいかない。教え子を背負ってこそだ。君なら、その重さを理解しているだろう?」 「・・・・・・はい」 「なら、いい」 都城は九野の言葉に、上司としての責任の重さを再確認した。今回の件は、夜越の悪手をわざと見逃していたのは確かである。 それを利用して、『悪評』を撒き散らす固地の真意を見極めようとした。そこを九野に看破された。これは、甘んじて受け入れる批判である。 「総じて、今回の件は両方に非がある。しかし、重さ的には181支部の方が重いだろう。 あぁ、債鬼には謝らなくていいよ?こいつは、意地でも謝らないだろうからね。ホント困った弟子だ。 だけど、今回の件における君達の非はよくよく覚えておきたまえ。言っておくが、師匠である俺は君達を許したわけじゃ無いからね?」 「「「「ゴクッ・・・!!!」」」」 「君達を許すかどうかは、今後の君達の行動で決めるとしよう。本来風紀委員と警備員は管轄も何もかも違うが、同じ学園都市を守る治安組織の一員には違いない。 君達が今後も風紀委員で在り続けるのなら、同じ失態は繰り返さないようにしろ。仮に、何度も同じ間違いを繰り返すようなら・・・フッ、皆まで言わなくてもわかるだろう?」 “天才”が醸し出す雰囲気に181支部は呑まれる。これが大人と子供の差。言い換えるなら、九野獅郎(ししょう)と固地債鬼(でし)の差。 「後ろで寝ているバカ弟子も例外じゃ無い。こいつは筋金入りの意地っ張りだ。昔はまだ素直な部分もあったんだけど、今となっては見る影も無い。 何でこんな天邪鬼になっちゃったんだろうね?師匠として恥ずかしいよ。だから、このバカ弟子には実力行使もしている。それでも中々矯正できないから困ったモンだ」 「矯正・・・ですか?」 「そうだよ、加賀美ちゃん。昔はしごいてしごいてしごきまくって、毎度の如く泣かせ続けたモンさ」 「債鬼君を・・・!!?」 あの固地債鬼を泣かし続けた?とてもじゃ無いが想像できない。それは加賀美だけでは無く、181支部の面々も同じ思いだった。 「あぁ。だから・・・181支部の諸君。肝に銘じるんだ。俺と君達が同じ現場で立つことも有り得るよ?もし、君達が同じ過ちを繰り返すのなら任務から外れて貰う。 正確な情報を見極められない人間が居ても何の役にも立たない。却って邪魔だ。そんな人間は現場に要らない。とっとと支部に帰りたまえ・・・という具合になるかもよ?いいね?」 「「「「はい・・・」」」」 駄目押しの言葉が突き付けられる。一般的に風紀委員より警備員の方が重要度の高い任務に就く。それに対して不満を持っている風紀委員も実は少なく無い。 しかし、そこには確かな理由も存在する。子供にはできない判断でも大人には下せる時も多くある。子供の戯言が通じない戦場に踏み入れることも多くある。 その中でも、“天才”と呼ばれる警備員九野獅郎が放つ言葉はとても重い。自身が抱える“障害”を含め、様々な経験を経て来た“天才”の言葉は本当に重い。 「・・・フッ。とは言え、今回の発端は全て債鬼の振る舞いが元凶と言える。『悪評』を生み出したのは、紛れも無い後ろのバカ弟子だ。 その点に関しては、君達に非は無いよ。そこは履き違えないでくれ。元凶は債鬼だ。いいね?」 「「「「はい」」」」 そして、物事を見極める力にも長けている。元凶は間違い無く固地にある。それは揺らがない。その部分に関しては、181支部には何の落度も無い。これが“線引き”である。 「むしろ・・・・・・そうだ、都城ちゃん。君は178支部リーダーの浮草君を知っているかい?」 「・・・はい。同じ学年、同じリーダーということもあって色々話したりすることもありますが・・・」 「彼もバカ弟子のじゃじゃ馬に苦労しているんだろ?機会があれば、一度彼にも謝らなければならないと思っていてね。『バカ弟子が面倒をお掛けしてすみません』ってさ」 「・・・浮草もよく愚痴を零しています。『後始末をする俺の身にもなれ』、『固地の悪辣さは目に余る』、『178支部の評判が落ちる』、『あれが「本物」の風紀委員なのか?』・・・」 「(やっぱり・・・。浮草先輩も怒ってるよぉ。債鬼君・・・)」 九野の質問に都城が178支部リーダーの本音をスラスラと述べて行く。その内容から、加賀美は浮草が怒っていることを再確認する。 それは当然だろう。急にリーダーを差し置いて部下の1人がリーダー格に伸し上がったのだ。浮草の心情足るや、どれ程のモノであったのか。 「・・・それだけかい?」 「・・・えっ?」 しかし、“天才”は都城が述べる浮草の本音にある事柄が含まれていないことに気が付いた。常々固地自身が零している愚痴にでてこない事柄が。 「浮草君は・・・“そんなことしか”していないのかと聞いたんだ。つまり・・・こうは言っていなかったかい?『債鬼をどう指導すればいいんだろう?』・・・とか。 『俺もあの債鬼が手本にするくらいまで成長しないと!』・・・とか。『債鬼を部下に押し戻すくらいの結果を、リーダーとしての実力を示してみせる』・・・とか。 そういう、指導者(リーダー)として部下をキッチリ指導する過程においての愚痴、あるいはそれに似た内容の愚痴を君に零していなかったかい?」 「・・・・・・いえ。私が聞いた限りでは、そのような言葉は零していませんでした」 「・・・・・・そうか。・・・成程。・・・・・・フッ。そんなんでリーダーか・・・。そんなんで教える立場に居るのか・・・。フフッ・・・・・・」 笑い声に冷たさが宿る。雰囲気が変わる。教える者としての怒りが露になる。 「これは・・・・・・機会があれば、一度浮草君に確認しなければならないね。リーダーとしての覚悟を。この俺自らが彼に会って直接問い掛けるとしよう。フフッ・・・!!!」 「「「「「・・・!!!!!」」」」」 怒っている。あの“天才”が。声に、表情に、雰囲気に紛れも無い憤怒の気配が満ち溢れていた。 「あぁ、君達。今の話はオフレコで頼むよ。このことを浮草君や債鬼に知られたら意味が無い。彼等のためにも。 ついでに、俺と債鬼が師弟関係なのも基本的に口外禁止。俺が浮草君と会って話すまでは。これに関しては、絶対に守る必要は無い。気にする程度でいいから。いいね?」 「「「「「(コクン)」」」」」 少女達に口止めを行った九野は手持ちの時計を見る。随分時間を掛けてしまった。 「ふぅ。時間を取らせてすまなかったね、181支部の諸君。君達には風紀委員の仕事があるんだろう?それに戻ってくれたまえ。 それと、重ね重ね謝罪しておこう。ウチのバカ弟子が馬鹿なことをして申し訳無かった」 「・・・いえ。こちらにも非はありました。むしろ、今回の件に限っては私達の方の非が大きいです。固地にも伝えておいて下さい。『ごめんなさい』と。希望。火煉」 「・・・本当に申し訳ありませんでした。そう・・・固地さんにも伝えておいて下さい」 「・・・ごめんなさい」 九野には謝らなくていいと言われていたが、それは都城自身が許さなかった。非がある以上、謝罪することは当然。これは基本的なことであり、とても大事なことである。 夜越・果無もリーダーに続いて謝罪の言葉を述べる。都城の顔に泥を塗るわけにはいかない。それ以上に、自分達にも非があることを彼女達自身が理解したからである。 「・・・これは、何時か債鬼を君達の所へ連れて行って謝らせなければならないな。何時になるかはわからないけど・・・約束しよう。師匠であるこの俺が」 「・・・了解しました。では、その日を私達181支部は首を長くして待っています」 「あぁ。首が伸び切らない内に何とかしよう」 「「「フフッ」」」 九野と都城の漫才のようなやり取りに、他の181支部員が思わず笑みを零す。九野は唯厳しいだけでは無い。ちゃんと後腐れの無いようにフォローも行う。 この直後181支部は風紀活動に戻って行ったが、彼女達と九野の間に確執は残っていなかった。各々のやるべきことを各々が理解したからこそ生まれた、それは信頼感であった。 「果無ちゃんは、常盤台で云々をすっかり忘れていそうだな。後でちゃんと思い出させないと。・・・加賀美ちゃん。確か、君は債鬼の友達だよね?」 「は、はい」 「・・・じゃあ、君に俺の携帯のアドレスを教えておこう。君のアドレスも教えてくれるかい?」 「?わ、わかりました」 空き地に残っているのは九野と固地・・・そして176支部リーダーの加賀美である。加賀美は思う。たった1時間前後の間にこうも二転三転するなんて、今日は異常だ・・・と。 そんな彼女とアドレスを交換した九野は、不敵な笑みを浮かべながらこう告げる。 「もし、バカ弟子が目に余る行動を取ったら俺に連絡してきなよ。俺が直接出向いてこってり絞ってやるからさ。 そうだ。債鬼にも伝えておこう。そうすれば、抑止力的な意義が発生するし」 「は、はぁ・・・」 「・・・迷惑ばっかり掛ける天邪鬼だが、できればこれからもよろしくしてやって欲しい。あいつは本当に不器用な奴でね。 その悪辣な態度にばかり注目が行くが、その向こう側にあいつの真意がある。あいつにはあいつなりの信念がある。それは、あいつが『本物になろうとする』証だ。 それを見極めることは君にとっては難しいかもしれないが・・・」 九野の弟子を想う独白を加賀美は黙して聴く。彼は確かに厳しい。ある意味では固地より厳しいと思ってしまうくらいに。 でも、同時に彼の優しさも伝わって来る。さすがは“天才”と呼ばれるだけのことはある。この優しさの百万分の一でもいいから固地にあったらと思わずにはいられない。 「・・・わかっていますよ」 「・・・」 「私は・・・債鬼君を見限ったりしません。酷いこともよく言われますけど・・・それは確かに私の血となり肉となりました。 所属する支部が分かれた今も続いています。きっと、九野先生の教えが生きているんだと思います」 「・・・そうか。そうであってくれると嬉しいね」 「私は私の思いで彼にぶつかります。彼は・・・その・・・・・・見ていて危なっかしいですから」 「債鬼が聞いたら、『人のことが言えるか』とか何とか言われそうだね?」 「ですね。私も・・・人のことは言えませんし」 加賀美は夕暮れに近付きつつある空を見上げる。何処か哀しそうな表情を浮かべながら。 『天牙・・・!!何で風紀委員を辞めるって言うの!?』 『リーダー・・・。あなたには、一生理解できないことだ』 「私は・・・・・・」 『鏡子が失踪!?債鬼君!!ど、どういうこと!!?』 『入院していた病院から、突如として消えたそうだ。加賀美、お前の監督不行届だな』 「本当に・・・」 『176支部のリーダーは何をしているんだ』 「『本物』のリーダーになれるのかな・・・?」 少女の寂しげな声がオレンジ色に染まった空に吸い込まれる。答えは・・・出ない。 「・・・加賀美ちゃん。俺で良かったら相談に乗るよ?」 「・・・・・・今は、いいです。ちょっと心の整理ができていないというか・・・」 「そう?それは残念」 「(危ない危ない!!)」 アドバイスを申し出た九野にやんわりと断りを入れる加賀美。先程の181支部とのやり取りの直後では、加賀美と言えども彼にズバズバ指摘されたくは無い。 これは、心の防衛本能。見たく無い部分まで根掘り葉掘り掘り下げられるような恐怖を抱いてしまったために。 「債鬼のことは俺に任せろ。そもそも、俺は債鬼と待ち合わせをしていたんだ」 「九野先生とだったんですか?」 「そうだ。捜査の在り方について色々議論するために。偶の非番なんだし、少しは気分転換でもすればいいのに・・・本当に全くだ」 「債鬼君・・・。わかりました。債鬼君をお願いします。では失礼します」 「うん。さようなら」 非番の日まで風紀活動に関わる研究を行っている固地のストイックさに何とも言えない感情を抱いた加賀美は、九野に別れを告げて去って行く。 彼とアドレスを交換した携帯電話を握り締めながら、少女は帰宅の途に着く。今後の自分の在り方に、一抹の不安を感じながら。 「余計な邪魔をする・・・バカ師匠。アンタがあの時声を掛けていなければ・・・」 「うるさい、バカ弟子。事態を複雑にしてどうする?少しは、その悪辣な態度を見直せ」 日が陰り始めた空き地で師弟が言葉を交わす。目を覚ました固地は、師匠の一喝に体が硬直してしまう己の体を不甲斐無く思っていた。 「頭痛の種を増やすな。いい加減俺自身の仕事も面倒臭いことになってるってのに、その上にバカ弟子の問題まで俺は抱えたく無い」 「・・・確か、警備員に圧力が掛かってるんだったか?学園都市統括理事会の」 「・・・直接的では無いにしろ、間接的に『上』の圧力は肌で感じるね。もうすぐ、『解決済』という名のお蔵入りにされそうだよ」 「『闇』が関わっている・・・か」 「だろうね。全くこの街は面倒だよ」 九野と固地が語っているのは、この学園都市に住まう大部分の人間が知らない事柄。『闇』を蠢く人間達のお話。 「だが・・・このまま泣き寝入りするつもりは無いんだろう?」 「もちろん。ネタは取っとくさ。何時でも使えるように。お前でもそうするだろう、債鬼?」 「当たり前だ。俺は組織が全て善だとは思っていない。“表”があれば“裏”もある。それ以外も当然のように。その中で足掻くために・・・俺は九野獅郎に弟子入りしたんだ」 「それは途中からだろう?初めは『あの時の借りを返す!!』とか言って、俺に反抗してばっかりだったじゃないか?全部返り討ちにしたけどね」 「う、うるさい!」 昔の恥ずかしい過去を穿り返されるようで、固地は堪らずそっぽを向く。彼がこんな風に子供(ガキ)らしい振る舞いをするのは、師匠である九野の前くらいだ。 そんな子供が真っ直ぐ生きて行くには、この『科学』の世界は多少以上に複雑だ。それを子供以上に知り尽くしている大人は、今一度子供へ確認する。『闇』の話をしたついでだ。 「・・・俺に助けられたことが、お前が風紀委員になる切欠になった。どうだ、債鬼?この街は本当に面倒臭いぞ?不条理は幾らでもある。 お前は・・・風紀委員になると決めたお前自身の決意を後悔しているか?俺に助けられたことを後悔しているか?」 師匠は弟子の覚悟を試す。答えはわかり切っている。自分が知る弟子なら。“天才”が知る“『悪鬼』”なら。九野獅郎が知る固地債鬼なら。 「後悔などしない。あの時アンタに助けて貰ったことを感謝こそすれ、後悔したことは一度も無い。風紀委員になると決意した当時の俺の覚悟も同様に」 ゴーグル越しに見る弟子の瞳には、常のような禍々しさは存在していなかった。あるのは、師匠へ向ける真摯な感謝と覚悟を宿した光である。 それを瞳に映した―風紀委員になった直後に自分の下へ、いの一番に報告に来た時の眼光と全く同じ光―師匠は・・・口の中だけで笑った。 「だが、俺はお前から『ありがとう』という言葉を聞いた試しが無いんだが?」 「そうか?まぁ、どうでもいい」 「どうでもよくあるか!師匠の責務として、何時かお前が周囲に迷惑を掛けた時は絶対に頭を下げさせてみせるぞ!?覚悟しとけ、バカ弟子!!」 「ハァ?ふざけるなよ、バカ師匠!!何で俺が頭を下げ・・・」 「ふざけてんのはお前・・・」 「・・・・・・!!!」 「・・・・・・!!!」 それからたっぷり1時間は空き地で激論を行った師匠と弟子は、本来の目的である捜査手法についての論議を行うことができなかった。 師匠と弟子。師弟関係。これにも色んな形はあるだろうが、この2人―九野獅郎と固地債鬼―についてはこんな感じである。 end!!